Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

言葉がストーリーを作る

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは日本語以外に話せる言語ってありますかー?
言語ってね。
英語にはあるけど、日本語にはない。
とか、
日本語にあるけど英語にはない。
という単語がありますよね。

また、使う言語によっては、
心持ちとか、雰囲気というものも変わってくるんですよね。

僕らの頭の中に流れるストーリーも、
使う言語によって結構変わってきたりもするもんです。

と偉そうに言いましたが、僕は日本語しか使えないわけですが、
でも、標準語と関西弁でも結構変わってくるような気もします。

世界には、数多くの言語があるわけですが、
言語というものは概念そのものですからねー。
この概念を使ってストーリーを作るからには、使う言語によってストーリーも変わってくるというわけです。

 

言語によって概念は様々

ところでみなさん。
グーグ・イミディル語という言語はご存知でしょうか?

オーストラリア北部の少数民族の間で使われている言語なんですけどね。

この言語には、なんと前後左右という概念がないんですよね。

前後左右の代わりに、東西南北を使うんです。

つまり、方向や空間の捉え方が、自分を中心の
右とか左とか前とか後ろって捉えるんじゃなくて、
絶対的な方角として捉えるんですよね。

これが面白いことに、例えば思い出話とかをするとするじゃないですか。
そんな思い出話でも位置関係は、常に東西南北で語られるんですよね。

だから、例えば、座ってたら、後ろからいきなりヘビが襲い掛かってきたんだよー!
みたいな話があったとしたら、

北を向いて座っていたら、南からいきなりヘビが襲いかかってきたんだよー。
みたいな話になるんですよね。

概念が違うとストーリーも変わる

でね。
さらに面白いのが、この話を身振り手振りで表現するとするじゃないですか。
その時の身振り手振りも、今自分が向いている方向によって変わるんですよね。
南から襲ってきたという話をするときに東を向いていたら、右から襲ってくるようなジェスチャーをするし、
西を向いていたら、左から襲ってくるようなジェスチャーをするというわけですね。

そんなふうに、方向や空間認識としては常に自分中心じゃなく、絶対的な方向として捉えるんですよね。

もうそうなってくると、頭の中で描かれるストーリーも日本人が描くものとは結構違ってくるんだろうということは想像に難くないですよねー。

空間認識を自分中心で捉えないというのであれば、いろんな物事ももしかしたら俯瞰で見ることが得意なのかもしれませんね。

あらゆることは起こっていて起こっていない

ま、そんなわけで、
僕らが捉えている人生というものも、目の前の世界も
全部言葉に置き換えられたストーリーになっているわけです。
そして、あらゆる言葉に僕らは、
良いことと、悪いことといったような意味づけもしているんですよね。
そして、悪いストーリーが展開されると、途端に僕らの心は反応して不安になったりするんです。

だったらこの特性を利用して、ちょっと言葉を変えてやると良いんですよね。

「ああ、不安だ、、、。」

って思うのならね。
この不安という単語を、ポヨヨンに変えちゃうとかね。

「ああ、ポヨヨンだ、、、。」
って呟くと、なんかちょっと笑えたりしますもんね。

すると頭の中のストーリーのイメージも変わってくるというもんです。

そんなことをしても現実は変わらないじゃないかー!
って思うかもしれませんけどね。
現実とは頭のなかのストーリーのことなんです。
そして、ストーリーは変えなきゃならないものでもないんです。

実際にはあらゆることは起こっていて起こっていません。
起こっているのは常に解釈なんです。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!