Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自由について

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【はじめに】

はーい。
どうもおはようございます。
なんかシムシティ的なゲームにハマって、
徹夜をしてしまったタクさんです。

朝になって急いでブログを書いています。

あーいう箱庭を作る的なゲームって
やめ時がわからないですよね。

やばいっす。
皆さん気をつけてください。

さてさて、
自由!って言葉。
きっと皆さんも好きなんじゃないかな〜?って思います。
響きは良いですよね。

自由っていうのは、「自己の理由」。
つまりは自身の自らの考えや行動の理由という意味なんだそうです。

つまり自由って自分の思い通りってことじゃ〜ん!
ヤッター!

ってなもんです。

でもね、仕事の場合での
「おまかせします!あなたの自由にやってください。」
っていうのは騙されちゃいけませんね。

あれは、
「私が望むとおりにやってください。」
「でもヒントは無し!」

みたいなことですからね〜。

自由って使われる場面で意味が変わっちゃうんですね。
気をつけなきゃなりません。

そういえば、子供の頃から、
「え〜!自由って言ったやーん!」
ってなる場面を何度も味わっていた気がします。

 

【自分の思い通りになるというのは、はたして自由なのか?】

さてさて、
ここでもよく、僕らは自由です!
みたいな表現をしているかと思います。

でも、もしかしたらここで言っている自由って僕らが求めているいわゆる自由とはちょっと違うかもしれません。

僕らが求めてる自由ってね。
どうしても、自分の思い通りになる!って思うじゃないですか。
でもこれって、厳密には自由ではないんですよね〜。むしろ不自由なんです。

なぜなら、これは自我ちゃんが求める自由だからなんです。

【自我ちゃんが求める自由】

自我ちゃんが求める自由というのは、自我ちゃんが望むとおりに抵抗なしに生きて行きたーい!
ってやつだって思うじゃないですか。
だから、問題に対して、それをなんとかしようとする。
そして、それがうまくいったら安心しますもんね。

たしかに、それは自我ちゃんが求める自由の一つです。

でも、実は自我ちゃんにはこの望みとは相反するもう一つの望みを隠し持っていたりするんです。

それは、自我ちゃん自身の存続です。
だから、自我ちゃんは望み通りになりたーい。
どんなものもスルッとうまく行って、
抵抗なしにやっていきたーい!って思う反面。

もし、本当にそうなったら困る!とも思っているんですよね。
「本気にしてどないすんのや!」
ってなかんじでね。

だから、うまく行っていても、まだまだ問題は潜んでいるぞ。
例えば、あんなことやこんなことも・・・。

といったように、
あらゆる問題をずっと持っていたがるのもまた、自我ちゃんの望みなんです。

だって、何かしらの抵抗感がないと、自我ちゃんは存続出来ないですからね〜。
だから問題は常になにか抱えておきたいんです。

それでいて、
「やっぱり自由になんかならないジャーン!」
って言って嘆くんですよね。

ここが、僕らが、
「本来は自由なんですよ!」
と言われてもいまいちしっくりこない理由なんです。

【真の自由とは?】

では、ここで言っている自由とはどういうことなのか?
ということなんですけど、
それはまさしく、自我ちゃんからの自由なんです。

そもそも僕らは自我ちゃんから、一切の制限を受けていません。
にもかかわらず、勝手に自我ちゃんのささやきに対して必ず耳を貸さなければならない。
そして、自我ちゃんの訴えには必ず答えなければならない。

って思い込んでるんですよね。

そうなると、自我ちゃんは自由を求めるふりをしつつ、
常に抵抗の中にあろうとするので
僕らは常に不自由感の中でさまようことになるんです。

自我ちゃんからの自由になるはじめに一歩は、自我ちゃんのささやきを許し認めることです。

「はーい!承っておきまーす!(言うとおりにするとは言ってない)」
ってな対応をするって感じでしょうか?

自我ちゃんがそれを求めるのは、自我ちゃんの理屈としては当然だよね。
わかるよー!
とはいえ、知らんけど。
って感じですね。

そんなふうにしてますと、徐々に自我ちゃんは自分ではないことが見えてきますし、
自我ちゃんの健気な可愛さも見えてくるんです。

そして、そもそも、自我ちゃんからは自由であったことも知るんですね〜。

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