Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

気づきと意識とコレのこと

はじめに

はぁーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らって会話するときにね。
前提条件というものを合わさなきゃ会話って成り立ちませんよねー。

ここでいう前提条件とはルールのことです。

人と人とが会話をする場合は、いわゆるルールをちゃんと合わせること。
これをしないと会話は成り立たないんですよ。

でね。
会話の場合に適用されるルールは、
いわゆる言語の意味です。

「え??ルール合わせ??そんな事会話する前にやったことないよ?」
って思われる方もおられるかもしれません。

ま、普通はそんな事しませんよね。

なぜなら、日本語なら日本語。英語なら英語と言ったように、
言語の意味を学習した者同士で話しますので、
大体は同じ意味で会話が成立していると思い込んでいるんです。

でもね~。
ここも完全ではなくてですね。
言葉の意味が人によって違うことということも結構多いんです。
その場合、会話が成立しているように見えて、実は全然成立していない。
ということが起こったりもしているんですよね〜。

 

コレって何?

でね。
非二元について語る上で一番難しいのが、
言葉の意味にあまり誘導せずに語るという部分なんですよ〜。

ちょっと何言ってるのかわかんない
ってなるかもしれませんが、

いわゆる「コレ」ってね。
言葉では説明できないものなんですが、
僕らは「コレ」を説明するのに言葉以外のツールがありませんのでね〜。
あえて、言葉をあてるわけです。

非二元というのも、悟りというのも、コレというのも、あえてあてた言葉に過ぎないわけでして、
なるべく、その言葉に意味を持たせないように工夫しなきゃならないわけなんです。

なぜなら、「意味」と「分離」というのは同じことだからなんです。

分離というものは幻想なんだよ。ということを語る上で、意味をもたせちゃうと、
本末転倒になりますからね〜。

意識の定義はいろいろ

なので、僕のブログでも、結構矛盾点が出てくると思います。
意味として捉えちゃうと、そういうところが出てきちゃいますからね〜。

ま、なので、意味として捉えないようにする。
今まで、知らないうちに抱え込んでいたお荷物(=意味)が、
すっと消えて軽くなったように感じたなら、
その軽さを味わい、そのまんま、そこに在ってみること。

それをオススメしておるというわけですね。

でね。
意識って言葉があるじゃないですか。
こいつがね〜。なんとも誤解を生む言葉だな〜って思うんですよ。

僕はこの意識をいわゆる気づきのような感じで使ったりするんですが、
ま、気づきってのもまた誤解を生むわけでして、

つまり、認識力のことでしょ?
って思われるかもしれませんが、僕が表現したい意識の意味は認識力ということでもないんですよね〜。
もっとそれ以前の原初のそれですのでね。
認識というのは、原初からかなりこねくり回された川下になっちゃうんです。

また、最近、AIは意識を持つのか?みたいな議論もあったりするじゃないですか。
ここで使われている意識の意味とはいわゆる「自我」というか、パーソナリティのような感じでね。
これはいわゆる、考え方のクセみたいなものだから、そりゃー偏った情報を与え続ければそういうパターンが出てきても不思議じゃないよな〜とは思うんですが、これをやたらファンタジックに表現されてたりすることもありますよね。

もちろん、この意識も気づきとは全然違う意味になってしまいます。

自我もパーソナリティもそう見えているだけのものですからねー。

だから、もう「コレ」とか「それ」みたいな言い方になってしまうんですが、それだと意味が分からんってなっちゃいます。
ま、意味をつけようとしない工夫をしているわけなので、意味が分からんで正解なんですけどね。

なので、あまり言葉の定義や解釈にこだわらないほうが良いんです。
また、正解なのか?間違いなのか?というこだわりも必要ありません。

もちろん、思考の働きとしてはそれをこだわろうとする働きが起こるのも自然です。
ですが、この思考の働きは、あなたではありませんからね〜。
窓の景色をみるような感じで、この働きをただ眺めてやれば良いんです。

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