Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

名もなき意識

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はじめに

はいよー!
おはようございます。
タクさんでございます。

この宇宙はビッグバンという大爆発で誕生したと言われておりますが、このビッグバンが起こったのが、およそ140億年前だと言われています。
でね。
このビッグバンから30万年ほど経った頃、初めて僕らが物質と呼んでいる、原子や分子が登場しました。
そして、地球が惑星として落ち着いてきたのは、そこからさらにあと、今から46億年ほど前です。
そして40億年ほど前に分子の結合が複雑化したいわゆる生物の原型が誕生しました。
でねー。ここからずーっと時は流れて、7万年ほど前にやっと人類と呼ばれる生物が誕生し、文明というものを生み出したというわけです。

まーこれはハラリさんという歴史学者さんの言葉なんですけどね。
この文明というものがねー。
いわゆる人類が作ったある種の仮想現実だというわけなんです。

まあ文明の定義というのは、国家という概念があることが一つの定義になっていたり、
農耕が行われてから生まれたと定義している場合もあって、
そうなると7万年前とは言えない!
なんて意見もあるんでしょうけどねー。
この辺は、まーどうでも良いので、知らんがなということにしておきます。

この仮想現実というものは、ある種の考え方が共有されて初めて起こるものです。
そして、この考えを共有するツールが言葉なんです。

言葉とはある種のルールづけによって運用され、このルールが共有されることによって、仮想現実を作られるというわけですね。
ちなみに、共有されないものは、自分だけの妄想ということになります。
妄想は共有されて初めて現実感を帯びるわけですね。

 

言葉に目を向けられるのは気づいているから

ちょっとややこしくなってきましたが、
ま、この言葉に目を向けている間、僕らはその言葉によるストーリーを頭の中で展開させているということになります。
でね。この言葉に目を向けられているのは、そのことに気づいているからなんですよね。

ま、当たり前と言えば当たり前なんですがね。
この気づいているということ。
このことが結構スルーされがちなんですよねー。

この気づきがいろいろなことの大元にあるわけですが、
実際に在るのはこの気づきだけなんです。

僕らが何かに気づけているのには、その気づきが在るからなんです。

気づきは意識

この気づきというのは、意識だと言っても良いかもしれません。
意識には潜在意識だとか顕在意識だとか、いろいろな分類があったりしますが、
このいろーんな意識もねー。
なんていうか意識によって意識されておるわけでして、その本質は意識なんです。
最終的には名もない意識に落ち着くんですよね。
あるのは、この名もない意識だけなんです。
この意識が何かに目を向けた時、
その何かが意識の中に現れるわけですが、その何かもまた意識そのものなんですよね。

ちょっとややこしいですが、懐中電灯で何かを照らしたのなら、その照らされたものは現れるということに近いかもしれません。
そして現れたものは、まさに光そのものですので、懐中電灯の反射をみているわけです。
つまり現れたものは、懐中電灯の光そのものなんだということです。

意識もまたこの懐中電灯の光のようなものなんですよね。

名もなき意識にあるということ

この照らされたものに意識が向けられている間だけ、僕らはこの照らされたものを自分の外にあると仮定し、分離の概念が生じるわけです。「自分」という概念もまた、この分離の概念と同時に生じるというわけですね。
そして、分離をするために使われる比較の概念が複雑化し発展することによって、苦と楽という概念が出てきて、
これらがこねくり回されて、いろんなストーリーが登場するというわけです。

意識に名をつけずにいるということ。
これが、なんでもない中に在るということなんですね。

そして、ここにはストーリーもなく苦もなく、限定もなく、ただ全てで在るということなんです。

 

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