Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

集合意識と個別意識

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【はじめに】

はい!
どうもー。
おはようございます。

僕らってね。
目の前の光景を実は全部見ることって出来ないんですよね〜。

必ずどこかにフォーカスしちゃうんです。

全体を見渡すってね。
できるようで出来ないんです。

ちなみにね。
フォーカスと思考は密接につながっております。

だから僕らは知らないものにフォーカスすることって出来ないんですよね。
知ってるもの、もしくは今思考の中に浮かんでいるもの。
これらにフォーカスするんです。

赤!って言ってみてください。
するとね。
何故か身の回りにある赤に目が行ったりするんですよね。

ほら、よくサットサンなんかでは田舎に行くじゃないですか。
自然あふれるところとかね。

自然あふれるところって、なんか気分がスッキリしたりしますよね〜。

これもね。
人工のものには必ず意図や意味がありますからね。
無意識にその意図や意味を読み取ってしまうんですよね。

つまりフォーカスしちゃうんですよ。

このフォーカスってそれなりにエネルギーを消費するんです。
それが自然の中では薄まるから楽になるってこともあるんですね〜。

 

【フォーカスと意識】

このフォーカスって一体なんぞや?
っていうと、いわゆる意識なんですね。

意識するっていうじゃないですか。
よく考えるとちょっとよくわからない言葉ですけどね。

意識が狭まると、その意識は個別意識になり、より狭まるとその個別のなかにもより個別なものになる。
逆に意識を広げると、個別性は薄まっていく。

みたいな感じですかね。

【集合意識と個別意識】

まあよく、潜在意識だとか顕在意識。
はたまた、個別意識とか集合意識。

みたいにね。

意識にも色んな種類があったりしますけど、
じつは意識がいろんな形に分離しているのか?
と言いますと、
んなーこたぁない!んです。

意識は意識。それ以上でもそれ以下でもない。

あるのは、純粋な意識。それがあるだけ。

なんですよね。

そもそも、意識って何よ!
って話なんですけど、これって何でも無いものなんです。

説明しちゃうとフォーカスされた何かになっちゃうんですけどね。
そんなものはないんです。

【純粋意識】

この純粋意識。
ま、この言葉が適切かどうかはわかりませんが、まあいわゆる「コレ」にたどり着くにはどうしたら良いか?
って話なんですけどね。
それは、フォーカスを解くだけなんですよね。

ただ、このフォーカスってのがいわゆる自動機能なんですよね。

なので、この自動機能が作動しないように、目を閉じてみたり、
瞑想してみたりとあれこれとするわけです。

ですが、実は「コレ」ってたどり着くものじゃありませんでね。
もうすでにここにあるものですからねー。
フォーカスされてようがされてなかろうが、もう純粋意識そのものじゃん!

だから、何をどうするってことじゃないじゃん!ってことでもあるんですねー。
ま、例えていうならば、
富士山に登っていながら、富士山はどこにあるんだ?って探しているようなものですかね。
登ってる途中は、絵画や写真でよく見るあの富士山はどこにも見えませんもんね。
だから、ココが富士山だよ!っていわれても、「ちがうじゃーん」ってなるんです。
近づけば近づくほどに、あの富士山からは遠ざかるんです。

ついつい僕らはフォーカスされた世界を実際に存在する世界であると錯覚してしまいますのでね。
一旦フォーカスをといてみるっていうね。そういう準備運動はアリなんですが、その先に何かがあるということでもないというわけなんです。

ちょっと説明がややこしくなってきちゃいましたね。
すればするほど、ズレてきちゃうので、今日はこの辺にしておきます。

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