【はじめに】
はい。
どもっ!
おはようございます。
タクさんです。
ま、
今日も今日とて、あやしい話を書いて行こうかと思っておるんですけどね。
ただ、僕としては至極当たり前すぎる話でもあるんですけどねー。
一番こういう話を書いていて聞かれる質問が、
「私はいない」ということについてです。
この辺はちょっと僕も感覚がマヒしてるんですかねー?
普通に、いないじゃん。私なんて。
どこにいるのよ!
ってなるんですけどねー。
だって、あなた、タクさんだってさっき名乗りましたよねぇ?
なのに私はいないんですか?
って聞かれてもね。
いや、名乗ったのといないのは関係ないじゃん。
ってことなんですけどねー。
ただ、この感覚は当たり前なんだけど、ちょっとあまり当たり前にしすぎるといかんなぁ。
と思ったりもします。
【あるもないもない】
ま、「私」に限らずなんですけどね。
これはあるのか?果たして無いのか?
これは価値があるのか無いのか?
意味があるのか?無いのか??
ってねー。
そういうのを気にするっていうか、そういうことを重視して働くのが、
いわゆる思考の働きなんですよね。
でね。
この働きによって、自分が所有しているものが価値がない!と気づかされると、自動的に体が反応するようなシステムになっているんです。
ピピピーンッ!ってね。
ちょっといやーな感覚として反応しちゃうんですよね。
ま、反応ということで言えば、
お腹が減ったら、何か食べたいなぁ〜。ってな反応が起こったりするのと一緒ですね。
で、この反応ってめっちゃリアルじゃ無いですか。
だから、僕らはこの反応を理由に思考のストーリーにもリアル感を感じるっていう錯覚をしているんですよね。
【私はいないにまつわる感覚のズレ】
ま、なので、普通は何に価値があるのか?ということを気にしちゃうもんなんです。
だからねー。
思考の働きの大前提になっている私について、この「私」がいない!?
なんて聞いちゃうと、混乱しちゃうんですよね。
無いというのは価値がないと同じようなことと錯覚しちゃうんですよね。
だから、私がいないってどういうこと?
って気になっちゃうわけです。
そして、
私がいないを正解として掴み取ろうとしちゃうんですよね。
そうなると、私はいないんだから、名乗るのはおかしい!
といったような感覚になるんです。
まーでも、そういう、何があって何がない。
何が正解で何が間違い。
みたいなねー。
そういうのって、思考の中だけの話だってことが明らかになっちゃってますと、
別に私がいないからって、名乗るのに矛盾は感じないんです。
サッカーではボールを手で触ったらアウトだけど、別に手でボールを持って遊ぶこともある。
こんなの誰でも平気じゃないですか。
だから、私がいないからといって、別にタクさんです!って名乗るのになんの違和感も感じないんですよね。
私がいないというのは、思考はルールのようなものであって幻想のようなものである。
ということと同じ意味ですからねー。
私はいないをルールとして採用するということとは全然違うんです。
また、幻想だからと言ってルールに従わない!ということでもありません。
それもまた、幻想というもののルール化になっちゃいますからねー。
なので、ここに矛盾を感じるということは、私はいないを一つの正解としてつかもうとしちゃっているということなんです。
それって、正しいと間違いという分離にハマってるよーってことなんですよねー。
ま、ややこしいのが、ハマるのがダメなんじゃなく、あ、ハマってるんだと知っていればそれでいいんです。
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