Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今しかないとは、今もないということ

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はじめに

はいはーい。
おはようございます。
タクさんです。

このブログにも「それ」は今にしかない。
みたいなことをねー。
いつも書いているワケですが、
ま、思考というのは、どうしても過去のことしか見れないということだからでございます。

もちろん、言葉で表現される全ても、過去のことです。
僕らは、過去に教わったもの。過去に聞いたもの。過去の体験の記憶。
こういったもので、今を変換するワケです。
そうすることによって、「今」のみずみずしさを、経験済みの何かにへんかんしちゃうわけなんですよねー。
だから、僕らが知っていることというのは、すべて過去由来のものなんです。
ですが、今ここにあるものは、過去由来の何かで変換されたものではありませんよねー。
ってはなしなんですけどねー。
今日はこの「今しかない」ということについて書いてみたいと思います。

 

今を捉えようとするとわけが分からなくなる。

どうしてもね。
今しかないという言葉を思考で捉えようとすると、これまた、訳が分からなくなっちゃうんですよね。
だって、よし!これが今か!って思った途端、もうそれは今じゃなくなってしまう訳ですからね。
こんなの捉えられないよー。ってなる訳です。
じゃあ、どこに、今があるんだろう?どうすれば今を認識できるんだろう?
ってねー。今を探そうとしてしまうワケですが、実は「今」なんてものはありませんので、
とらえることってできないんですよね。
今しかないというのは、言い換えると「今」もないということなんです。
だから、「今」は捉えることはできず、そもそもそんなものもないんです。

何かを捉えるというのは選択である

僕らが何かを捉えるというのは、取捨選択をするということなんですよね。
白を選択するならば、それは黒ではなく青でもなく赤でもないというものになります。
そうやって、あらゆるものを削ぎ落とすことで、僕らは何かを捉えるわけです。
そこで、あらゆる分離が起こるわけですが、実際に目の前のものは、
一切の分離はありません。
イメージの中だけで、分離があるていにして、それを捉えたということにしているんです。
もちろん、そうやって捉えたものも全てそのものでもあります。
海の水をコップですくいとったとして、その水は海そのものと同じものです。
ですが、このコップの水が海なのかというと、もうそれは似ても似つかぬ別のものになってしまいます。
同じでありながら、全然違うとも言えるわけですねー。
でも、ちがうのか?というと同じっていうね。
クソややこしいことになるわけです。

真実はストーリーの中には存在し得ない

このことは、真実という言葉でも同じことが言えます。
僕らが捉えている現実は、真実をストーリーに変換したものなんです。
そして、そのストーリーは真実とは全然違うものになっているんですよねー。
もちろん、ストーリーも全ての中の一部と言えないこともないですが、
そもそも、一部というものなんんてないんです。
なぜなら、分離はあくまでも、ていであって、実際には全てに分離は存在しないんですよねー。

でもそう聞いちゃうと、現実は嘘で、真実が本当なのか?
と本当を探し求めちゃったりしますよねぇ。
「今をどうすれば捉えられるのか?」と考えるのと同様に、
ストーリーは全然違うのなら、真実はどうしたら捉えられるんだろう?
って探究しちゃうんです。
でも、本当も嘘もないんですよね。
本当と嘘があるというのもまた、分離の概念の中で使われる設定であって、
実際には、本当と嘘なんてものも存在してないんです。

「私」もまた定義の一つ

これは「私」という概念に対しても同じことが言えます。
僕らは個人を捉えようとするとどうしてもこの個人に対する定義が必要になってきます。
そして定義を捉えようとするとそこで分離が起こるんですよね。
そうやって捉えた個人。つまり「私」は実際には存在していないんですよね。
これもまた、ていなんです。
イメージの中で、そういうことにしてるだけなんですよね。

分離がないとは個人もないということになります。
僕らはより良く生きるためにより良い個人を求めていて、その一つとしていわゆる「悟り」も求めたりしちゃうワケですが、
分離がないということは個人もない。つまり、より良い自分という夢の否定になってしまうんです。
だから、個人のなさを自分は受け入れることができないんですよね。
なぜなら、それは個人の死を意味するからです。
より良く生きるなんてものが無いんですよねー。
それが何でも無い「それ」なんです。

選択をせずにある時、そこに全てが残る

で、結局のところどうすればいいのよぉ〜。ってね。
なると思いますが、
どうすればいいのか?とは何を選べばいいのか?になります。
何かを選ばなければ何も得られないという思いがあるからです。

何にも選ばなければ、全てが残るんです。
何も選ばすにいるとそこにあるもの。それが「それ」なんです。

ですが、思考は選択をしないということはできません。
それもまた一つの選択になってしまうからですねー。
ですが、思考は自分ではありません。だから思考の状態がどうであれ、それでいいんですよね。
これは思考や感情を何かしらの状態に留めておくという話じゃないんです。
思考や感情の状態へのこだわり。このこだわりからの目覚めの話なんですよねー。

 

takuteto.hatenablog.com

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