Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は起こっては消える

はじめに

おはようございます。
タクさんです。
ところでみなさん。
「人間」って言葉。
ちょっと面白いと思いません?

人の間でしょ?
なんでわざわざ「間」つけてるのか?って考えるとなかなか興味深かったりしますよね。

元々は「じんかん」と読むんだそうです。

「間」がつく意味は諸説あるそうですが、昔の人はもしかしたらどこかで、本来の私自身は人ではなくある種の魂的な存在で、今は人という乗り物に乗っているだけ。
みたいなね。
そんな観念があったのかもしれませんね。

人間五十年〜、下天の内をくらぶれば〜、夢幻の如くなり〜、、、

と、これは織田信長さんが好きだったと言われている敦盛の一節なんですが、
これもまた、人の間にいられる期間は五十年しかなく、天界に比べると、まるで一瞬の出来事のようだよねー。
みたいな意味ですもんね。

さて、この「人間五十年」という一節ですが、これを見て僕ら現代人は、
昔の人って五十年しか生きてられなかったの〜?
今は80歳くらいで、近い未来には100歳も当たり前になるって言われてたりするので、昔の人は寿命が短かったのね〜。
って思うかもしれませんね。

でもね。
知ってました?
僕らは人類は、未だかつて、寿命を延ばせたことはないんですよ。
つまり、大昔から僕らの寿命は伸びてはいないんです。

ただ、早死を防ぐことができるようになってきた。
ということだけなんですよね。

つまり病気や怪我による早死にを防ぐ技術は進歩したけど、寿命を延ばせるようにはなっていないんだそうです。

まあ僕は、寿命は別にあまり伸びなくてもいいけど、見た目や体力が若々しいままでいられたり、戻せると良いな〜♪とは思います。
こういう技術ももっと進歩してほしいですよね。

 

思考を止めたい願望

僕らってね。
いわゆる思考のストーリーにハマることで苦悩するわけなんですけどね。

そう聞くと
「だったらこの思考を止めたい!」
って思っちゃうわけなんですよね〜。

無思考の中に在ると、そりゃースッキリするってもんですからね。
深〜い瞑想に入っていくと、ホント無思考の中に入って行っちゃったりして、
あっという間に1時間とかありますもんね。

僕も瞑想に凝ってた時期は数時間瞑想なんてザラにやったりしておりました。
ちゃんと、周りの様子。例えば音とか感触とか、そういうのは分かってるんですけど、
ホントふかーく入ってるとそれらと一体になってるんです。

私は全てであり、全ては私

この一体になるってどういうことか?と言いますと、
もともと一体なんです。
分離という幻想が落ちて、元々のそれがあらわれるってことなんです。

ありとあらゆるものと、私の間には垣根はありません。
だから言い換えるとあらゆるもの全てが「私」であると言えますし、
あらゆるもの全てが「私」であると言えるのなら、「私はいない」とも言えるんです。

「は?なんで全てが私なら私はいないの??」
って思われる方もおられるかもしれませんが、

いわゆる「自我」とか「エゴ」としての「私」というものはね。
対象がないと成り立たない概念なんですよね〜。

そして、普段ぼくらが「私」だと感じているものは対象あっての「私」なんです。
この対象がね。全てと溶け込んでいるとなくなっちゃいますのでね。

「私」はいないわけですが、僕らが自我とかエゴとは別に感じている「私感覚」のようなものは残るんです。
これが、もう全てなんですよね〜。
なので、全ては「私」なんです。

執着というクセ

ただ、これって思考をゼロにする。
思考が起こらないようになる。
って言うことではないんですよね。

もしそうなったら、ちょっとやばいですよねぇ。
もし、思考が起こらないんだったら、普段の生活もままならないですもんね。

でもそういうことにはなりません。
そして、一切の思考を消し去ろうとすることも出来ないんですよね。
ただ、僕らは思考に対する執着というものを持っているんです。
こいつが消えていくというわけです。

ま、もともと執着というものはあるように見えてないものでして、
単なるクセみたいなものなんですけどね〜。

思考は起こっては消える

思考って起こっては消えていくものです。
ですが、そこに執着。つまりこだわりのようなものがあるとその思考にペタってくっついちゃうんですよね。
そして、くっつくことによって、その思考のストーリーを展開させようとするんです。
このくっつきたいというクセ。
こいつが、ふと起こる思考に尾ビレをつけてあれこれとストーリーの展開を維持させようとするんですねー。
この執着は、一度ベリっと剥がしてやると、徐々に弱まってきます。
最初はこの執着が見えてませんし、思考のストーリーは真実だと錯覚しているんですよね。
このカラクリがバレたときに、ベリッと剥がれるんです。
ただ、剥がれたとて、またくっつくんですけどね。
もうバレてるので、剥がれやすくなっていくんですよね。使い古しのシールみたいな感じでね。

ですが、元々起こってくる思考が一切なくなるということではありません。
今まで通り起こっては消えていくんです。

 

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