Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたはすでに純粋無垢なんですよ〜というお話

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。

今日もせっせと水槽掃除に勤しむタクさんです。

お魚さんを水槽で飼うということはですねぇ。
いくら濾過を通して水を回していても、餌を入れてフンをするからには、
常に水は汚れ続けていくんですよね。

なので、定期的に掃除をして水を替えてやらなきゃならんのです。

ま、そんなこんなで楽しく水換えをしております。

みなさんのアクアリウムライフはいかがでしょうか?

 

心の浄化

さて、
心の浄化ってあるじゃないですか。
水槽じゃないですが、僕らの心っていうのもね〜。
なんかあれやこれやと色んなことを考えていたなら思考がとっちらかってしまって、
落ち着きもなくなってくるというものです。

なので、一旦あらゆる思考を掃除して、
スーッと消し去っていくことによって心もまたゆったりと落ち着いたりするもんです。

思考っていうのは
次々と思考の種を持ってきてはそれを処理し続けるっていう働きですので、
その連続性を断つことによって思考は収まっていきます。

そして、思考が収まったなら、
そのまんまにしておいて、ただ在ってみることで、
徐々に心は静かになっていくんです。

実際に浄化するものはない

ま、こういうことを心の浄化って言ってますが、
思考のお掃除も心の浄化っていうのも、
なんていうか、あくまでも例えなんですよね。

実際に掃除をしているわけでもなければ浄化をしているだけでもなく、
ただ、やっていることをヤメてみるということをしているだけですからね〜。

ですがぼくらって、言葉の意味に結構ダマサれやすいので、
心が落ち着いていなくてガサガサしている!
と感じたりすると、
まるで、心が汚れているって感じたりするんです。

まだ私には思考のゴミが残っている。
みたいなね。
そんな錯覚も感じたりするわけですが、
心の浄化や、心のお掃除っていうのは、
あくまでも言葉のアヤみたいなもので、実際にあなたの心が汚れているわけではなく、
思考というものもゴミではないんです。

ココをしっかりおさえておかないと、
変な妄想に取りつかれてしまったりもするんですよね〜。

「足りない自分」は妄想です

じっさいに、変なスピ系の人の中には、
「あなたの心は完全に浄化したと言えますか?」
みたいな問いかけをしてくるような人もいたりするんですよ。

そんなの聞かれたなら、
「やっぱり私はまだあれやこれやの思考が湧いてくるから、
浄化したとは言い切れないよな〜」
って思っちゃったりするじゃないですか。

そうやって脅されて、
ではまだ修行が足りないだとか、マントラが足りない(笑)だとか?
変な「足りない妄想」を植え付けられたりする。
なんてパターンもよくあるんです。

そうやって「足りない自分」という妄想を植え付けられたり、
はたまた、自分で「足りない」を作っちゃったりするんですよね。

あなたはもともと純粋無垢

心の浄化や心の掃除っていうのは、物理的な掃除とは全然意味が違います。
いくら思考にまみれていても、
いくら心が落ち着いていないとしても、
どんな状態であっても、あなたは純粋無垢ですし、
なにかが足りないということでもありません。

だから、すてさるべきゴミもないんです。

ただ、あなた自身が「足りない」をやっている間だけ、
「足りない」という幻想があるだけなんです。

これは、鬼ごっこをやっている間だけ鬼がいる。
というのと同じようなことなんですよね。

そして、あまりに夢中に鬼ごっこをやっているものだから、
その鬼が本物のように見えているだけなんです。

ただ、何がどう見えていようとも、あなたの純粋無垢さは失われていませんし、
もうすでに完璧なんですよね。

心の浄化だとかお掃除というものは、
もともと、どんな状態であれ純粋無垢であり完璧だということを思い出すために、
ただ、やっていることを「今だけ」ヤメてみる。
ということなんです。

なので、思考のない状態を保つことでもなければ、
心の平穏を保たなければならないということでもないんですね〜。

ずっと平穏であることを求めて、瞑想だの修行だのを続けたところで、
それは終わらない探求になるだけなんです。

 

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