Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

至福は状態に依存しない

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
やたらと眠い今日このごろ。
いかがお過ごしでしょうか?

なんでしょうねぇ。
たまに訪れるやたらと眠い時期に差し掛かっている
タクさんです。

いやー。
眠い!眠い!
こういうときっていくらでも寝ちゃうんですよね〜。

きっと皆さんにもそういう時期ってあるんじゃないかな〜って思います。

 

至福は幸福の上位互換ではない?

さて皆さん。

やっぱり、不幸って嫌いですよね。
不幸が嫌だから幸福を目指すわけですもんね〜。

でね。
今ここにある全て。
これはやはり至福なんです。
でね。
至福と聞くとなんだか、幸福の上位互換!みたいな感じがするじゃないですか。

でも至福ってそういうことじゃないんですよね〜。

不幸と幸福はセットになっていますが、至福とはこのセットから外れているんです。

だから、よく至福に至ると不幸はなくなる!って思ってる方もおられるかもしれませんが、そういうことじゃないんですよね〜。

ただね。
不幸はあっても良い!ってことになるだけなんです。

不幸はあって良い!となると、なんていうかちょっと不幸のみえ方は変わってくるんですよね。
今までは絶対にあってはならないことだった不幸が、あーこれはあっても良いものなんだ〜。ってね。
幸福も不幸も根は一緒なんですよね。

至福は特別な何かではない

そして、至福とは、特別な何かではないことも知るんです。
それは当たり前のことなんですよね。

そう。
つまり僕らは当たり前に立ち戻ると、そここそが至福なんです。
それは不幸とセットになっている幸福ではないんです。
例えばね。
お金がない!ということに不幸を感じていたのだとすれば、お金があることが幸福になると思います。
ですが、このお金があるという幸福は、その幸福の中にどこかお金を失う恐怖がちょっと残ってたりするんですよね〜。

不幸を克服した幸福っていうのは、何かしらの条件をクリアした状態ってことになっちゃうわけです。
そして、状態というのは常に変化するものですのでね。
この状態の変化に対して常にどこか怖がってなきゃならないんですよね〜。

ですが、至福というものは、条件に依存しません。
だからこそ至福ですし、そして条件に依存しないこと。
これこそが当たり前なんです。

つまり、不幸も幸福も、当たり前からちょっと外れて、何かしらの特別なことをやっていたり求めていたりするということになるんです。

ではその特別なこととは何なのか?というと、条件付けなんですよね。

何かしらの条件をつけて、その条件の合格ラインである状態を保とうとしている。
ということなんです。

至福は状態に依存しない

この条件付けというものは、仮想の設定ですのでね。
この仮想の設定という夢を見ている間だけ、その条件がまるで実際に存在するように感じているわけですね〜。

特別なこととは、そういった夢を見ている。夢想しているということなんです。

そんな夢から覚めると、残るのは当たり前の今ここなんです。
そして、この当たり前の今こここそが至福だというわけです。

なぜなら、不幸や不幸とセットになった落ち着きのない幸福は仮想の夢の中にしか存在しないからなんです。

まあ、そうきくと、思考の理解としては、
「じゃあやっぱり夢が覚めた至福の状態だったら不幸がないってことじゃん!」
って思うかもしれませんけどね〜。

至福っていうのは条件に依存しないので状態ではないんですよね〜。

至福は常にここに在って、僕らはこの至福から離れることはないんです。
ただ、夢の中で離れた「てい」にしているだけなんですね。

また、この夢想が無くなるのか?というと、それが無くなることはありません。
僕らは夢想する生き物ですからね。その夢想が悪いということではないんです。

ただ、夢想は夢想であるということを忘れるか?思い出すか?それだけなんです。

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