Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

そもそもすべては無条件

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

先日、久しぶりに水族館に行ってきたんですけどね。
やっぱ、魚をはじめとする水の中の生き物は面白いですねー。

僕はやっぱり魚の多種多様っぷりが好きです。

なんていうかねぇ。
個性が際立ってる感じがするんですよね。

色鮮やかですし、タツノオトシゴのように変わった形をしていたり、
ものすごーく体がぺったんこで薄い魚がいたりしてね。

シードラゴンっていう海藻が漂っているかのような見た目をした生き物もいるんですが、彼ら自身は擬態をしているつもりだと思うんですよ。
でも、ドラゴンなんてネーミングにされていて思いっきりバレてしまっている悲しさもちょっと面白かったりしてね。

はたまた、タコのように足が何本もあったり、エイのようなまるで空を飛ぶかのような生き物もいたりして。

ただ、これほどまでに多種多様なのに、大体は目が二つに口が一つっていう共通点もあったりしてねー。

この辺りの暗黙の共通点なんてのも面白かったりします。

 

・無条件の愛って何?

さてさて、
よくね。いわゆる「コレ」のことについて、それは無条件の愛である。
みたいな言われ方をしたりするじゃないですか。

まあ、そもそも愛って無条件のものですから以前から僕はこの無条件の愛っていうのがいまいちピンとこなかったんですよねー。

ですが、無条件の許し、無条件の至福、だとしっくりくるなぁ。って思っています。

無条件の愛でも無条件の至福でも、ここでの重点は愛や至福のほうではなく、「無条件」の方だと思うんですよねー。

僕らの思考は「条件」に縛られているんです。
つまりこの「条件」からの解放は、思考からの解放でもあるんです。

・思考は条件によって組み立てられている

そもそも、思考は条件によって組み立てられる仕組みなんです。
「これがこうだからこうなる」といったような組み立てですね。

だから、条件がないと思考って組み立てられないんですよね。

この条件は、定義と言ってもいいかもしれませんし、判断といってもいいかもしれません。
また、ルールというのも同じような意味合いです。

あらゆる思考はこの条件に依存しているんです。

そして僕らは条件によって組み立てられた思考の世界を見ていますので、
世界は全て条件によって組み立てられていると錯覚しがちなんですよねー。

だから僕らは、
コレはどうしたらこうなるのか?といったようなかんじで、あらゆる条件を知りたがるんです。

条件を知ることで世界を掴めると思い込んじゃっているんですよね。

だから、幸せや至福や愛もまた、何かしらの条件を手に入れることで達成できると思い込んでいるというわけです。

・そもそもすべては無条件

ですが、そもそも「条件」というのはないんですよね。

だって、赤ん坊の笑顔が可愛いのになんの条件もありませんもんね。
猫や金魚はもちろん、僕ら人間が愛くるしいのも別に条件あってのことじゃありません。

つまり、そもそも全ては無条件なんです。

苦悩や不安というものは、条件という錯覚によって生み出される思考のストーリーだというわけなんです。

ただ面白いことに、この無条件さを目の当たりにするたびに、この思考によって作られた世界もまた愛くるしいものに見えてくるんです。

 

 

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