Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

子供の頃のアレ

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは、どんな大人が好きですか?

僕はねぇ。
なんか、目がキラキラしてるオッサンとかいるじゃないですか。
まるで話していても子供のような感じでね。
自分の好きなことを延々と話し続ける!みたいなね。

なんか、そんなオッサンが好きなんですよねー。

みんながみんなおしゃべりってわけじゃないんですけどね。
でも、
「あ!このオッサンはこのタイプだ!」
ってね。
目や表情を見たらわかっちゃったりしますもんね。

こういうオッサンに僕もなりたいって思ったもんです。

まーぼくも、そんなキラキラしている時もたまにはありますが、
死んだ魚のような目になっている時もままあります。

実は、どっちも気に入っているんですけどね。

 

キラキラしたおっさん

キラキラしているおっさんになるには、
やっぱり、何かに縛られないことですよね。

僕らは、赤ん坊の頃は一切の縛りってなかったんです。
ですが、言葉を覚えるにつれて、
いろんな縛りというものも、教わってきたわけです。

その縛りが増えていくに従って、自分というものを不自由にしていったんですよね。

そして、いつしか、この縛りが自分よりも上位のものになってしまったんです。
縛りを恐れ、そして、縛りには従うべきである。
みたいなね。

そんな思いに取り込まれちゃったんですよね。

この縛り軍団のテリトリーが増えるに従って、自分のテリトリーがどんどん奪われていったんです。

また、この自分というものもまた、縛りの一部になっていったんですよねー。

縛りがないことを知ると、縛りはあって良いものとなる

ただね。
じゃあ、この縛りを思い切ってぶち壊して、この縛りに逆らってやろうぜ!
って言ってるわけじゃありません。

縛りに反抗して逆らうって言うのもまた、縛りに縛られていると言うのと一緒なんです。

ここで言っているのは、

よく見てごらんよ!
その縛りってないじゃん!
ロープも手錠も檻もないじゃん!
じゃん!じゃん!じゃん!

っていうね。
なんとも当たり前の話なんですよね。

そして、ないことに気づくと、やっと初めて、その縛りを遊べるんです。

鬼ごっこをしているのを忘れると、鬼がとても恐ろしくなる

この辺がちょっとしたパラドックスになっているんですが、
かなり強引に例えると、

鬼ごっこをしていることを忘れている間は、
鬼に捕まるともうこの世の終わりだ!と思い込み、必死に逃げるわけです。
この鬼に捕まると、もう自分は終わってしまう!って思い込んでいますし、そう教わってきたわけですからね。

でも、この教わったことって、ただのルールであって、
別に鬼に捕まっても終わらないし、
それで鬼になったとしても、まあそれはそれで良いじゃん。
イヤだけど良いじゃん!
イヤも含めてそう言うゲームじゃん!

ってね。
当たり前のことを当たり前に知るということなんです。

すると初めて、この遊びを楽しく遊べるようになってくるんですよね。
同じことをやっていながら、初めて鬼ごっこをやる。
みたいなね。
そんな感覚です。

今までも生きてきたけど、マジでイノチじゃん!
ってね。

何も変わらないけど、全部ひっくり返る。
でもやっぱり何も変わらないんです。

子供の頃のアレ

そして、この辺が明らかになるにつれてね。
僕らは、忘れていた子供の頃のアレが復活してくるんです。
子供の頃のアレとは、ただ夢中でワクワクしていたあの感じです。

あー、このことを忘れてたー!ってね。
なんかそんな感じのアレです。

このアレは、どこかに消え去っていたわけじゃなく
ずーっとここに在ってくれたんです。

塞ぎ込んでいようが、死んだ魚の目になっていようが、
お構いなしに、ずっとここに在ってくれたんですよね。

 

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