Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

因果・カルマへの執着とは?

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

「ねるとん紅鯨団」っていう恋愛バラエティー番組が、昔あったんですよ。

ツーショット!だとか、大どんでん返し!なんて言葉もこの番組由来だと言われておるくらいの人気番組だったんです。

クライマックスでは、女性陣が一列に並んで、男性陣が好きな女性の前に立って告白していくんですけどね。
モテモテの女性は何人もの男性が
「ちょっとまったー!」
っていって集まってくるんです。

この番組はねー。
僕が中高生くらいのときにやってたんですけどね。

この「ねるとん」よりももっと以前の、僕がまだ小学1年生の頃なんですが、
なんとクラスの席替えでこのねるとんシステムが採用されていたんですよね。

どういうことかと言うと、
その頃の僕のクラスでは、男女ペアで机を並べるという配置をしておりましてね。
席替えのたびに、
男の子は教室の前に一列に並べられて、女の子はペアになりたい男の子の前に来て並ぶんです。

それでペアを組むわけですが、モテモテの男の子の前には沢山の女子が並ぶことになります。
その時は、男子はその中から一人選ぶわけです。

これねぇ。
逆も然りで、誰も女子が来てくれない男子もいるわけですよ。

特にこのクラスでは、モテモテの東くんの前に半分くらいの女子が並ぶんですよね。
そうなると誰も来ない男子が残るんですよ。

でね。ペアになったものから席に座っていくわけですが、
モテナイ男子は、いつまでも余り物になってしまうっていうねぇ。

今ではちょっと問題になるんじゃないか?ってなシステムが取られておりましてね。
最後まで残った男子なんか、ちょっとかわいそうでしたよ。

僕もこの席替えのたびに、なんかいやーな気分になっておりました。

今でも思い出すくらいだから、ちょっとしたトラウマですよね。
ペアって怖い。。。

 

因果とカルマ

さてさて、ちょっと無理やりですが、
ペアといえば、原因と結果。略して因果です。

なんか、ファンタジー映画とかでは、この因果律から逃れるのだ〜!
的なね。
そんな表現もあったりしますよね。

この因果からの解放。
これが解脱ということなんでしょう。知らんけど。

また、カルマの解放っていう言葉もよく聞きますね。
このカルマってやつも、因果と同じようなものです。

そして、僕らはこれらに執着しているからなかなか解放されないってことなんです。

因果・カルマへの執着とはなんぞ?

「じゃあ、この因果やカルマへの執着っていうのは何なのよ?」
「これがわからんのに、執着をやめるなんて出来ないじゃん!」
って思いますよねぇ。

これね。
どういうことかといいますと、
僕らの目の前の世界ってね。
常に流動しているエネルギーのようなものなんです。

全てがそうなんです。
つまり、諸行無常。あらゆるもの(諸行)は常では無い(無常)。
ということです。

でもね。
思考ちゃんって意外かもしれませんが、無常をとらえることって出来ないんですよ。
常に流動し、動いているものって思考では捉えられないんです。

じゃあ、思考ちゃんはどうするのか?というとこのエネルギー的な働きを、
一つのパッケージに切り分けてとらえるんです。

どう切り分けるのか?といいますと、「これが、こうなった。」
といったような切り分け方です。
この「これがこうなった。」
これが原因と結果。つまりは因果であり、カルマだというわけです。

因果・カルマは翻訳され歪められた世界

あらゆるものを、そうやって因果として切り分けることで僕らは思考の世界観を作り上げるわけなんです。
そして、何かわからないことが出てきたら、その因果を探そうとするわけなんですね。
「これはどうなってるの?」
「どこから来てるの?」
ってやつです。

この、因果やカルマっていうのは、いわゆる観念による解釈なんです。

そして、この観念による解釈へのこだわり。これが執着だというわけですね〜。

このこだわりを捨て去る。
これが、すなわち「執着を手放す」ということなんです。

つまり、

「これはどうなってるの?」
「どこから来てるの?」

っていう思いを、わからんままにしておく。
これが、執着を手放すコツなんです。

 

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