因果の法則ってね。
多分、従来の意味では、全てには何かしらの原因があって、その原因が結果をもたらしている!
なんて言われてると思うんですよね。
その法則がなんか過大解釈されていって、
カルマみたいな言葉を生み出したり、
前世のカルマが影響している!
みたいなことになったりしてね。
そりゃね。
アイス食いすぎて、腹が痛いってなくらいのことならね。
これからちょっと食べ過ぎるの控えよ〜。
くらいには思えますけどね。
前世のせいとか言われても。。。
知らんがな!
って言いたくなりますよねぇ。
また、
災い転じて福となす。
とか、
好事魔多し。
とか、、。
福とナス????ナスビがどーした!ナスビじゃなくて為す?
好事が魔だと??なんや!せっかく楽しくしてるのに、水を差しやがって!
じゃあ、どないすりゃええねん!
原因がどんな結果に繋がるのかわからんのに気にし続けなきゃいけないなんて、
そんなんいつまでたっても気が休まらんし怖いやんけっ!
なーんてね。
思いますよねぇ。
でもね。
これ、違うんですよ。
何が違うのかと言いますと、
原因が先にあって結果がついてくるっていうことやないということです。
逆なんです。
あるのは今だけであって、この今に、何かしらの原因を求めてる間だけ、その原因を今から遡って見てるんです。
ちょっと言い方がややこしかったかもしれませんが、
原因が先にあって、そのあと結果が来るんじゃなくて、
結果という今が先にあって、そのあとに原因を後付けしとるということなんです。
別れた恋人に未練があって後悔するのって、今、恋人がいないからであって、
今ラブラブだったら、そんな後悔はあらへんのです。
先に今があるわけですね。
このことを頭の片隅に置いておくと、楽になれます。
だって、いちいち「無いもの」に対して悩まなくてもええんやーん。
ってことを知れるんですよね。
「無いもの」っていうのは、どうなるかわからない未来の結果のことです。
そして、これがどんな結果を及ぼすんだろう?
っていう心配もいらんわけです。んなもんわかりませんし、
そして、過去の原因に対して悩まなくても良いんです。
今、誠実であれば、やな過去を再構成しなくても良くなりますからねー。
つまりは、
今、誠実であれば良いんです。
それで、大丈夫なんですよね。
カルマなんて話では、どうしようもない前世と来世っていう概念があったりしますが、そういうのがあったとしても、それもまた今作り出しているっていうことですのでねー。
ちゃーんと誠実であれば、それも心配無用なんですよね。
では、誠実であるってどゆこと?何にどう誠実であればええのん?
ってことになると思うんですが、
誠実であるというのは自分に対して誠実であるということなんです。
妙な概念や恐怖のストーリーなんかで自分を蔑んだりしないということです。
自分を貶めたりしないということなんですねー。
それは、概念やストーリーの枠で自分を縛らないということです。
そうすると参照してる因(原因)も変わって来ます。
因果はコインの両面なので、結果も変わって来ます。
一切自分を縛らないをやっていきますと、「自分という枠」にも囚われなくて良いということになります。
自分は、自分という枠にすら囚われない全てなんですね。
そうしますと、あるがままの世界があるがままに現れてきてくれるんです。
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