Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自己感覚を担保するもの

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

苦とか苦悩とか言ってますけど、
これってね。
平たく言うと、いわゆる自己感覚みたいなものだと言えますよね。

いろんな自己感覚があるけど、その中でもイヤーな感じの感覚。
これがね、いわゆる苦だということになると思うんですよ。

疲れや疲労ともちょっと違うんですよね。
気分がいい疲れ、心地よい疲れっていうのもありますしね。

やはり、疲れにイヤーな感じがくっついて、初めて苦になるわけです。

悩みも一緒で、チョコ味かイチゴ味か、どっちにしようか?
って悩んでるときは、別にイヤな感じはありません。

これもやっぱり、イヤーな感覚がくっついてこそ、苦悩になるわけですね〜。

もちろん、自己感覚というのは、
イヤなものだけじゃなく、色々とあるわけです。

そして、この自己感覚があるからこそ、
僕らは、「私がいる」という思っているわけなんです。

というわけで、
今日はこの「自己感覚」を解体してみようじゃないか!
と思います。

 

自己感覚を担保するもの

さて、この自己感覚とは、結論から言うといわゆる反応のようなものでもあり演出のようなものでもあります。

そんな反応と演出は、何によって起こっているのか?
と言いますとね。

いわゆる条件付けによって起こっているんです。

つまり、自己感覚を担保するものは、条件付けなんです。
この条件付けが自己感覚の反応や演出を生み出しているわけです。

では、この条件付けとはなんぞや?
と言いますとね。

言い方を変えると、これはカルマというやつです。
カルマちゃんですね。ピョコちゃんと僕が呼んでいるやつです。

でね。
このカルマちゃんとは、なんなのか?というと、「因果」。
つまり原因と結果です。

この条件付けをね。
ぼくらは、今まで教わったり経験したことによって、沢山蓄えているわけですね。
これはこうだ!こうなったらこうなる!
的なやつです。

いわゆる判断や観念もその一部なんです。

カルマのショトカ

また、この条件付けには、一見どういう観念や判断から来ているものなのだろうか?
というのがわからないものも結構あるんですよね。

なので、考えてもよくわかんないけど、こういう事があると嫌な感覚が出てくる。
みたいなこともよくあるんですよ。

思考ちゃんってね。
手に入れてきた条件付けのうち、よく使うものについてはショトカにしちゃうんですよ。
つまりショートカットです。
そのほうが燃費がいいからですねー。

なので、ショトカになった条件付けは、条件反射的に反応することになるんです。

ま、そんなわけで、条件付けというものは、
思考が関わるものもあれば、ショトカとなっているものもあるということですね。

なので、なかなか、これは条件付けだ!とは思えなかったりもするんですよね〜。

条件付け先輩!

ま、そんなわけで、こういった条件付けによっていわゆる自己感覚が演出されるというわけですが、この条件付けにもいわゆる深さみたいなものがありましてねぇ。

深さというか、先輩後輩というかね。

とにかく、古株のお局みたいな条件付けっていうのもあるんですよ。

わかりやすいのが、時間の感覚だったり、私という観念もそうです。

自己感覚と言っていますが、本来はただの名もない感覚なんですよね。
これを自己だと感じさせているのもまた、条件付けによるものなんです。

条件付けを条件づけだと知ること。
ま、これもまた気づきなわけですが、条件付けというのは、白日のもとにさらされることで効力が失われていくんです。

効力が失われると、いわゆる繰り返し能力というものがなくなっちゃいます。
なので、条件付けは長持ちしなくなるんですよね。

そうなると、ただなんでも無いことが起こり、そして消えていく。
ということになるわけです。

だから、起こっては消えていくだけだよ〜って言われているというわけです。

 

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