Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

迷いと悩み

f:id:takuteto:20220307203426j:plain

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。

スタバでは、今日はちょっと変わったやつにすっかな〜。
って思いつつも結局キャラメルマキアートになってしまうタクさんです。

ま〜結局、キャラマキが一番いい感じの甘さで美味しいよね。
ってことでね。
豆乳ラテもいいんだけどね〜。

皆さんは、何がお好きでしょうか?

 

迷いと悩み

さてさて。
皆さんは迷いはございますでしょうか?

迷いってね。
悩みと似ているような気がしませんか?

でもねぇ。
迷いって全然悩みじゃないんですよ。
だって、
豆乳ラテにしようか?
キャラマキにしようか?

ってね。

迷いはするけれど、
悩みというわけじゃありませんもんねぇ。

だって、どっちに転んでもうまいもんはうまいっ!
ってなもんですもんね。

迷いから生じる悩みってのもね。
結局これと一緒っちゃ一緒なんですよね〜。

スタバの迷いと重たい悩み

じゃあなぜ、単なるスタバの迷いと、悩みはこんなに心の重たさがちがうのかー?
といいますと、これはきっと
「ちゃんとしたほうを選ばなければならない」
っていうね。
このプレッシャーがあるからなのかもしれません。

まー、なんていうか、そもそも選んですら無いんですけどね。
ただ、望みが現時点で拮抗しただけですからねぇ。

そのうち、この拮抗も崩れてくるか?
もしくは、どっちもどうでも良くなるか?
ってなってくるんですよね。

その時にちゃんと勝手に選ぶんです。放っておいてもね。

そして、迷うということはやっぱりどっちでも良いってことなんです。
だって、どっちにもメリットというものがあるから迷っているわけですもんね。

そもそも二択じゃない

また、迷いってねぇ。
なんか勝手に二択に誘導されてることってありません?

あれもねぇ。
勝手な誘導なんですよね。
もっと選択肢を増やしてやれば良いんですよ。
なんなら、100個くらいまで増やしてやれば、
もうなんでも良いや。
ってなるかもしれませんもんね。

そもそも選ばなくても良いかもしれない。

しかもね。
迷い悩んでいることはそもそも選ばなくても良いことかもしれません。
もうよくわからんから、流れに任せるわ〜って感じでね。

選ばないというのは、何もせずに逃げるということではありません。

むしろ、自分が正しい方を選ばなければならないっ!
っていう、力の入った感じがある方が、妙な恐怖に操られてうまく事が進まないってなことになったりもするんですよね。

妙な恐怖や思考で邪魔をせずにいると、ちゃんと自然に流れていくってなもんです。

僕らが後から選択で失敗した〜!って思い起こすことって、
だいたいが、恐怖に負けて選んじゃった。
とか、
損得で選んじゃった。

みたいなことになりがちですもんね。

思考や恐怖感は邪魔にしかならないんです。

後悔を怖がらなくても良い

さらに言うとね。
後で後悔するかもしれないっていうのも、
錯覚による恐怖ですからね〜。

後悔って過去の選択で起こってると言うよりは、今の状態が作っているだけですのでね。
過去に問題があるというよりは、観るべきは今なんです。

だから、後で後悔するかも・・・。なんてことで怖がる必要性なんて無いんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!