Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【我慢は危険】完璧主義なんてクソくらえ!

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

子供の頃ってねぇ。
なんかやたらとトイレを我慢することが出来たような気がするんですよね。

田舎のじーちゃんの家なんかに行ったときはねぇ。
といれがくみ取り式で、しかも穴が真っ暗でものすごく怖かったんですよ。

しかも、トイレがちょっと遠くてですね。
行くのがスゴーク億劫だったんですよね。
夜なんかは、トイレまでの道中もちょっと怖いですし。

なので、お盆に田舎に行ったときなんかは、
なるべくトイレは行かないようにしてた気がします。

それでも、結構平気だったんですよね〜。

今は、絶対に無理なんですが。

ま、でもトイレを我慢するのはよくないですね。

ちなみに、金魚が病気になる大きな一因として、糞詰まりというものがあります。
丸っこい金魚なんかは、腸が複雑になっていて、けっこう糞詰まりになったりするんですよね。
すると、体の内部から腐っていって、やがて死んでしまう。
っていうね。
怖い病気があるんですよ。

ま、金魚は我慢なんかしてないわけですが、身体の構造上そうなりやすかったりするわけなんですけどね。

 

我慢の不感症

ま、生きてりゃ、我慢しなきゃならない場面ってね、
皆さんもあるかと思います。

一切の我慢をせずに生きたい!って思ったりもしますが、
まー、なかなかそれは難しいですもんね。

まあ、多少の我慢はね。
別に悪いものでもないんですけどね〜。
でもそれは、面白がってやる我慢に限ります。

今食べるのは、我慢して、あとで美味しいものでも食べよ〜!
ってな感じですね。

怖いのは、
「今、私は我慢している」
ということを忘れちゃってる場合なんです。

我慢が知らず知らずのうちに当たり前になってしまっていたりして、

「私は我慢している」
というのを忘れちゃうんですよ。

これを忘れちゃうと、その我慢は無条件につねに受け入れることが当然になってしまうんですよね。

そうすると、いつのまにか我慢によるダメージが蓄積されちゃうんです。

我慢は、基本的に一時的なものじゃなきゃするもんじゃありません。
それが、延々と続くようじゃ深刻なダメージを受けちゃいます。

なので、私は我慢をしている。ということを忘れちゃいかんのです。
そして、その我慢は、ずっとやり続けるものじゃないですし、
そもそも、そんなことしなきゃいけないことなんて、一切ないんです。

我慢できないのは当然であって責める対象ではない

更に悪いのは、
「我慢できない私を責める。」
ということです。

みんな我慢してやってるのに、私だけが出来ない。
っていうのはね。

やらんで良い!ということなんです。

みんなはもしかしたら我慢してないのかもしれないですし、
それを遊んでいるのかもしれませんからねぇ。

そういうときは、100歩譲って、今だけは我慢を受け入れて遊ぶけど、それは、
今後、我慢しないですむような方策を進めているときだけそれを受け入れたらいいんです。

それが無理そうだったり、時間がかかりそうなら、とりあえず撤退すりゃいいんですよね。

その我慢を続けなきゃならない。っていうときは、そんなの続けなくても良い!
ということなんです。
我慢したほうが近道に見える時があるかもしれませんが、そんなの錯覚です。
急がば回れです。

完璧主義なんてクソくらえ!

最近、完璧主義的な観念が増えているそうです。

もしかしたら、コンピュータの発展が遠因なのかもしれません。
そのせいで、人もコンピュータ並みに正確じゃなきゃ困る。
みたいなね。
変な観念が出来上がっているのかもしれませんね。

んなもん。無理に決まってるんですけどね。

昔、釣りバカ日誌っていう漫画があったんですが、
その主人公はサボってばっかりで仕事をしない平社員でした。

その主人公は仕事はしないんですが、憎めないキャラクターで、
みんなに好かれているんです。

なんか、最近ではそういう人の居場所の余地が少なくなってきたのかもしれませんね。

ただ、完璧にやらなきゃいけないという観念は、そもそも無理なことなので、
自分の首を絞めるだけです。

完璧にやらなきゃいけないから我慢をするなんていうのは、
害にしかなりませんからねー。

もし、自分の中でそんな我慢を見つけたら、そんな我慢の芽はちゃんと摘んでしまいましょう。
ほっておくと、雑草並みに育ってしまって、自分を覆い隠してしまいかねないですもんね。

 

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