ほーい
おはようございます。
最近すっかりトイレが近くなってきたタクさんです。
若い頃は結構我慢できたんですけどねー。
まー、あまり我慢しない方が良いんでしょうけどね。
中学の頃は、大なら二泊三日は我慢できるっ!って豪語してたんですけどねぇ。
皆さんステキなトイレライフをお過ごしでしょうか?
我慢ってねー。トイレだけじゃなくて、いろんなことに対する我慢のことなんですけどね。
これってね。我慢しちゃう方が楽だったりするんですよ。
何事も。
でもそうやって、楽だから我慢しておいたらいいや〜。
ってね。気軽に我慢する癖をつけてしまうと、
いつしか我慢が常態化しちゃうこともありますからね!
さらには、我慢してることすら気づかなくなっちゃうんです。
ここはちょっと要注意なんです。
痛みは小さなうちに苅りとれ!
我慢は、痛みの反応にフタをする行為です。
そしてここでフタをしてしまうと、痛みの声は、ここで封じ込められてしまうんです。
これは、自分の伝えたい思いを押し殺しちゃうということなんですね。
小さな痛みだからといって、我慢しちゃうと、この我慢はクセになり、我慢することに無意識になってしまうんです。
するともう、しなくてもいい我慢も繰り返しちゃうんですよね。
なのでまずは、小さな痛み、小さな反応。
ここに気づくようにしてみるんです。
そして小さなうちにその痛みを刈り取るんです。
我慢せずに避けるんです。
我慢できるものは我慢してしまう癖
痛みは我慢することで、治るような。
そんな錯覚があるんですよね。
だから、たくさん我慢できるようになれば、
ストレスに強くなるような。
そんな気がするものですが、確かにそれで慣れることもあります。
でも、「ワシ、こういうことを我慢してるんやで!」
ということすら、無意識になっちゃうと、我慢がクセになってしまうんです。
これはほんとーにやめた方がいいです。
一切の我慢をしないということではないんですけどね。我慢をしているんだということは知っておいた方がいいんです。
そして、安易に我慢というカードを切らないことです。
我慢をクセにしないこと。
ここが大事なんです。
痛みを感じない不感症に
我慢がくせになると、痛みに対して不感症のようになっちゃうんですね。
でも本当は、しっかりその痛みは残ってるんです。
それが溜まってきてしまうから、どこかで爆発しちゃうんですよね。
我慢できないことによる罪悪感
また、痛みの不感症は、我慢することを当たり前のことのように受け入れることを自分に要求しだします。
さらには、我慢できないようなことに遭遇すると、我慢できない自分に罪悪感を感じたりもするわけです。
痛みを訴える声。
ここに、さらに罪悪感で追い詰めるなんてねぇ。
そんなかわいそうなことはありませんよね。
自分がつらくなるのは当たり前です。
そうやって、自分にムチを打っているのは、まさしく自分なんです。
玉ねぎの皮のように我慢を剥ぎ取る練習
我慢がクセになっていると、なかなかその我慢に気づけません。
だからたまにサボってみることは、とっても大事なことなんです。
僕もサボりを推奨するのはそのためです。
そしてサボれる部分を増やしていき、そのスペースを、自分の好きなことで埋めていくんです。
常態化した我慢や、小さな痛みは、わかりやすいストーリーとして現れてはくれません。
それは、とても微細な身体の反応としてあらわれるんです。
玉ねぎの薄皮を丁寧に剥がしていくかのように、
その反応に耳を傾けてあげるんです。
自分ファースト
そしてね。
あなたが何が好きなのか?
何が楽しいのか?
そんな自分の声に耳を傾けてあげるんです。
自分を満足させ、遊びに熱狂するんです。
そしてその喜びを表現すること。
それは周りの人や環境をも祝福するんです。
その方が我慢をして丸く収めることよりもよっぽど良いことなんです。
どうすれば自分のオモロイにリソースを沢山使えるようになるのか?
ここが僕らの知恵の使い所なんです。
どうすればもっと我慢できるようになるのか?
なんて事に知恵を使ってる場合じゃ無いんですよね。
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