Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐れの錯覚を見抜こう!

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はじめに

むわぁーっ!
はい。
というわけで、おはようございます。
タクさんです。

最近のお気に入りは、
なかやまきんに君の
「ぱわぁーーー!」
です。

なんか、ぬけた感じの声色が良いですよね。

さてさて、
私から私が抜け落ちたとき。
ちょっと変な表現ですが、
その時に感じたのが、「ぱわぁーーーー!」って感じです。

なんや。
全部それやん!ってことなんですけど、
この、それとはモノではなくてですね。

やっぱり、
「ぱわぁーーー!」なんですよね。

どんな言葉も当てはめられないんですが、あえて当てはめると、
イノチって感じでしょうか。

イノチってものじゃなくて、なんていうかエネルギーであって、
だからこそ、分割なんて出来ないわけです。

イノチを育むとか、イノチを守るとか言いますけど、
誰かが何とかしたり出来たりするもんじゃないんです。

また、消えたり増えたり無くなったりするもんでも無いんです。
そのことが、なんかものすごーく当たり前にしっくり来るんです。
うん。そんなの生まれる前から知ってたよ。
っていうか、生まれてすらいないし。ってなことでございます。

 

イノチのエネルギー

さて、このイノチのエネルギーなんですが、
これってねぇ、別に大げさなものじゃありません。

先生によっては、生命エネルギーなんて表現も見かけますが、なんだかちょっと高尚なすごいエネルギーのような感じがするじゃないですか。
でも、これは、とてもありふれたエネルギーであり、唯一無二であり、最強なんです。
っていうか、むしろコレしか無いわけなんですけどね。
あらゆるものはこのイノチのエネルギーの表現なんです。

身近な例でいうと、心臓の鼓動もそうですし、食べたものが消化されて血になり肉になるっていうのもそうです。
身体や心に充満しているんです。

もちろん。そのへんにあるペットボトルの蓋にも充満しているわけですが、
このあたりを説明しだすと、ちょっと話はそれちゃうのでやめておきます。

とりあえず、僕らの身体や心に充満しているもの。
それがイノチのエネルギーであり、言い換えると身体や心や感情などは全てイノチのエネルギーの表現なんです。

エネルギーを滞らせるもの

でね。
このイノチのエネルギーにいい感じに乗っかってりゃ良いわけなんです。

ただ、このエネルギーの流れを邪魔する働きをするやつがおるんですよ。
それが恐れなんですね。

この恐れが、イノチのエネルギーの表現を邪魔しよるんです。

ま、正確に言うと、恐れの錯覚によって、エネルギーがそっちを優先しちゃう。
ということなんですけどね。

つまり、僕らが持つ錯覚を作る能力は、イノチのエネルギーの流れを替えちゃう力を持っちゃうってわけですね。

ま、イノチのエネルギーさん側からみると、どんな表現もサイコー!って感じでノリノリですから、どんな表現でも全然オッケー!って感じなんですけどね。

恐れの錯覚とは

恐れの錯覚というのはどういうものかと言うと、いわゆる恐れの反応をイメージでものすごーく大きくして同時にそれを維持している。
っていう感じのものです。

うん。
わかりにくいですよね。
恐れの反応っていうのは、いわゆる防衛反応のようなものなんですけどね。
それにイメージ、すなわち思考のストーリーを加えて大きくしているって感じです。

実際の防衛反応ってのは、
例えば、「ひゃぁっ!びっくりした〜!」となって終わりです。
これを思考のストーリーで大きくして終わらせないようにしてるって感じなんですね〜。

ちょっと起こった防衛反応を思考のストーリーというツールを通すことで、ものすごく大きなものに変化させ、そして、そのストーリーを頭の中で繰り返すことで、延々と持続させている。
といったような状態です。

恐れの反応がレコードだとすると、ストーリーは手回しのプレイヤーといったところでしょうか?

で、僕らはこのストーリーを恐れていると錯覚してるんですけどね。
ストーリーは実際には無味無臭なんです。
だから、ストーリーを恐れる必要って無いんです。

恐れを感じてあげるっていうのは、ストーリーの方に注目するのとはちょっと違うんですよね。

で、まあ、この恐れの反応を無駄に繰り返しちゃうと、そっちにイノチのエネルギーがどんどん使われちゃうので、せっかくのノリノリが味わえなくなるんです。

なのでね。恐れを手放そうって言われてたりするわけです。

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