Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

観念の奴隷からの解放

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へーい
おはようございます。
タクさんです。

いやねー。
全然関係ない話なんですけどね。
日本って、ある種、宗教王国なんだなーって、
思うんですよね。

日本人自体は別段自分は宗教を持っていないし、
特別なにかを信仰しているわけではない。
って思ってる人がほとんどなんだと思うんですが、
客観的に観ると、思いっきり宗教王国なのではなかろうか?

なーんて思うわけです。

だってねぇ。
天照大神(アマテラスオホミカミ)が日本の最高神なわけでしょう?
そして、その子孫が天皇としてずっとこの国の王でありシンボルであり続けているわけですもんねぇ。

天皇陛下の一般参賀には何万人の人が押しかけ、新年には神社に国民衣装である着物をきた人が殺到するわけですもんねぇ。

国の憲法でも天皇を国の象徴として定めているんですから、
これ、海外から見たら、ものすごい宗教国として見えるんじゃなかろうか?

なーんて思うんですよねー。

ま、そういった象徴、シンボルがあるっていいですよね。
なんか誇らしい感じもありますし。

僕はこの感じは好きです。

このおかげで、日本人は特に宗教を持たなくても済んでいるんじゃなかろうか?
なんて思ったりもして、、、。

また、神道のいいところは、どんな考え方も受け入れるところですよね。
そして、万物に神が宿るっている、神様もたくさんいるってところもいいですよねー。

ありとあらゆるところに神が宿るのであれば、あなたもまた神であるってことになりますからねー。

貧乏神もいれば、福の神だっているんですから。

つまりは、貧乏だって神だし、福も神。
これらの神に価値の差はない!ってことですもんね。
この感じが個人的に好きです。

 

ま、今日は宗教の話でも神道の話でもないんですが、
全ては神であるというのは、ほんと、その通りだよなーって思ったりもします。
そう思えないという方もおられるかもしれませんが、
そう思えないというアイデアも、思考の中のイメージの中にしかありませんのでねー。
ありとあらゆる思考イメージを脇に置いておくと、残るのはもう全ての完璧さしかありません。

この完璧さ、調和、愛と至福。
これは神と表現してもいいのかもしれません。

ただ、こういった話は、
この話を信じれば、信仰すれば、全てがうまくいく。
といった話ではありません。

どちらかというと、
「うまくいく」とか「うまくいかない」といった観念の奴隷にならない。
ならなくてもいい。
という話なんですよねー。

つまりは、うまくいっても、いかなくてもどっちでもいいじゃん!
って言う話なんです。

判断の奴隷になっていると、
今も未来もうまくいかなければならないってなりますし、

過去のうまくいかなかったこともキズとして残ることになっちゃいます。

僕らはこれらの観念を現実として扱っていますが、
観念は観念なんだと見抜かれる時、この観念の奴隷にならなくてもいいってことを知るんです。

ありとあらゆる判断や条件はすべてイメージなんです。
このイメージはそもそもは便利な道具として使うものだったんだーってことを知りますとねー。
イメージの奴隷から解放されるんです。

これは、イメージを封じ込めるという話でもなく、
新たなイメージを手に入れるという話でもなかったんですよね。

そのことが明らかになる時、僕らは観念から解放されるんです。

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