Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

真理は思考や感情を超えている!ということは・・・

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はじめに

はいよっ!
どうもおはようございます。
タクさんです。

3月ってなんかやたらと忙しいですよね。
年末もですけど。

あとは、夏休み前とGW前なんかも忙しくなったりするのかな〜。

3月は年度末ということもあって、どうにも駆け込みって感じになりがちなんですかね〜。

そうそう。
憎き確定申告もあるんでしたね。

ひょえ〜!
めんどくせ〜!

とっとと終わらせて、ゆっくりサウナに行きたい!

というわけで、
皆さんはどのような毎日をお過ごしでしょうか?

 

真理は思考や感情を超えている

さて、
真理は思考や感情を超えたものだ!
なんてことはよく言われておりますよね。

ま、
だから、思考で掴み取ろうとしても無理ですし、
なんかいい感じの穏やかな感情を保つということも、
これまた全然関係なかったりしますし、

怒りや、妬みやそねみ、憎しみなどのような感情を手放すこと。

これもまた、関係ないわけでございます。

穏やか〜な表情をした仙人のような人柄になる。
というのも関係なければ、
悩みがなくなるというのも、これまた関係ないんです。

なぜなら、
真理は思考や感情を超えたものだからなんですね〜。

でも、何故か僕らは、それを思考や感情の状態からアプローチしようとしたがるわけです。

そして、そのようにアプローチしようとするから掴めそうで掴めないっていうね。
そんなもどかしさも感じちゃったりするわけです。

悪感情だって手放さなくても良い

でもね。
よく悪感情を手放そう!とも言われてますよね。

それはなぜか?といいますと、
僕らは、良い感情でいるときは、あまり感情に執着してないからなんですよね。

そして、その方が、感情や思考を超えやすいから。
ということだけなんです。

別に、良い感情が良くて、悪い感情が悪いわけでもなきゃ、
どのような感情であっても、どっちでも良いってのがホントのところなんですね。

単純に悪感情は執着しやすいというだけなんです。

そして、感情なんて、いろいろな形でやってきますからねぇ。
あまりそれにこだわる必要もないですし、こだわっちゃうとこれもまた執着になっちゃうわけです。

そもそも、僕らは感情も思考も手に入れてませんからね。
手放す必要すらないわけです。

では、執着とはなにか?というと、掴み取っていないのに、掴み取ってるという錯覚をしているということなんです。

さらには、そう錯覚してることにすら、気づいていないということでもあるんですね〜。

思考や感情がどのような状態であれ、それが最良である

ま、いずれにしろ、真理は感情や思考を超えたものであるとするならば、
思考や感情がどんな状態であったとて、それは取るに足らないことである。
ということなんです。

僕らはちょっと思考や感情を過大評価し過ぎなんです。
ぶっちゃけ、これらは、どうでもいいことなんです。

どうでもいいとは何事だ!

ってね。
ちょっとカチンと来る方もおられるかもしれませんが、
どうでもいいとは、どうあっても良し!ということです。

つまりは、思考や感情がどのような状態であれ、それが最良である!
ということでもあるんです。

 

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