Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【観念主義からの脱却】あなたは、ホントのホントに今のままで完璧!

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はじめに

はい
どーもおはようございます。
タクさんです。

いやー。
それにしても、ビジネス系のYouTubeなんかみてますと、
もー
「こんな奴は時代遅れだ!」
「こんな奴はバカだ!」
「これはダメ!」
「賢いヒトの考え方!」
「成功者の習慣5選!」
「これからはこうすべき!」
「無くなる仕事!」
「野菜食え!」
「肉食え!」
「肉も野菜も食え!」
「菓子パンを食べてはダメ!」
「菓子パンは毒!」

みたいなねー。
そんな情報がもう踊りまくっておりますよね。

イイじゃんねぇ。
菓子パン。
たまにはね。

ちなみにボクが好きな菓子パンは、ミルクフランスです。

みなさんの好きな菓子パンはなにパンでしょうか?

 

洗脳は仮想の幸せと不幸をセットでつれてくる

YouTubeだけじゃなく、本屋さんでもネット情報でもそんなんばっかりですよね。
特にビジネス系は。
でもねー。僕はダメダメばっかりじゃなくて、ええやんべつに!アホでいいじゃん。
精神ももっておきたいもんだな〜って思います。
まー、これらはすべて観念なんですよねー。
こういう沢山の観念情報から、なにを選べばイイのだろう?
ってねー。
僕らは迷い続けるわけです。
観念とはいわゆる洗脳です。
どのように洗脳すれば幸せになれるんだろう?
ってねー。
僕らは探究するわけです。

でもねー。
観念というのは、条件付けですからね。
条件付けというのは、これが正しい、これは間違い。
という分岐です。
言い変えると、これが成功でこれが失敗。
という分岐とも言えますね。
なので、条件付けを掴み取ることによって、僕らは、成功の条件を得ると同時に、失敗の条件も得ることになるっちゅうわけです。
そして、その失敗の条件が反応すると僕らはそれを問題とするわけですねー。

それが問題が生じる瞬間です。

観念を手放すとは?

つまり、より良くなろうと観念を掴みとれば、とるほどに問題が生じる可能性が多くなるわけです。
逆にいうと、観念を一切掴み取っていなければ、問題はありません。

ひとたび、問題が生じますと、今度はこの問題を解決する方法を求めます。
そして、問題を解決する方法。どうすればいいのか?という条件付けを求めるわけです。

観念によって生じた問題を解決するには、その観念の中にある条件付けの中にある、
正しいという方向性に進めるようになるか?
もしくは、観念自体を変えてしまう。
この二点になります。

なので、どうすれば条件にそう方向に進めるのか?
もしくは、この観念を変えてしまう観念はどれなのか?

ということを探し求めてしまうんですよねー。

ちなみに、うまくいかない観念を別の観念に変えること。
これは観念の手放しではありません。

でも、それが観念を手放すということなのだという思い込みもあったりするんですよねん♪

観念は観念を生む

観念はね。まさにイメージであって、形があるものではありません。
つまり、記憶容量が許す限り無限に増え続けます。
それはまるで、連想ゲームのようなものです。
これがダメなら、あれもダメ。
こうするべきなら、もっとこうあるべき。
みたいにね。
いくらでも増やすことができるんです。
イメージなので、材料も燃料も必要ないからねー。
無限に増えていくわけですね。

観念依存からの目覚め

だったらこの観念を一切手放したい!ってね。
思っちゃうのも人情なんですが、
僕らは観念を掴み取らないということはできません。
思考という機能がある限りは、何かしらの条件付けが必要ですのでね。
でも観念への依存は別にしなくてもいいんですよね。

観念への依存。これが執着というものです。
ですが、観念が実在しないのと同様、執着というのも実在してないものなんですよねー。
ないから、執着を手放す必要すら無いんです。

このパラドックスが見抜かれると、問題は問題じゃ無いし、
別にそれほど恐れるものじゃないってことも見抜かれちゃいます。

この見抜きは、
はぁぁぁぁー。ホントに今のままの私で完全によかったんだー!ということを、
これでもか!というほどに明らかにしてくれるんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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