Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

煩悩と執着のおはなし

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プププ。めっちゃ早口で言ってそう(笑)

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

いわゆるウンチク系の文章ってありますよねぇ。
ぼくねー。
こんなバカには気を付けろとか、
こういうやつはバカだ!
みたいな文章ってあまり好きじゃないんですよねー。

あれって、他人をバカだということによって、暗に自分はカシコなのよ!
ってなことを暗示しているわけでしょ。

でも、一緒ですからね。
バカもバカだし、馬鹿をバカにする者もバカ。

そもそも、人間はみんなすべからくバカなんです。

バカじゃない!と思いたいから、なんとか自分のカシコさをせっせと演出しちゃうのも、
これまた、バカだからですもんねー。
だって、カシコという概念もウソですし、そのウソのために取り繕うのって、思いっきりバカっぽいですからねー。
そして、このバカっぽさこそがサイコーに可愛いわけです。

みんなバカで、みんないい!

ってなことですもんねー。

でね。こういったウンチク系文章って、
なんか、めっちゃ早口で言ってそう。。。
なんて思うとちょっと笑っちゃいます。

 

108個の煩悩(ぼんのう)

さて、

数珠っていうのは基本的に108玉でできているわけですが、
この108という数はいわゆる煩悩の数と言われております。

煩悩とは、僕らを悩ませる思考ですね。この煩悩に執着すること。
この執着を手放しなっさーい!
ってのがね。
お釈迦さんの教えなわけです。

まー、108って、結構な数ですねぇ。
いちいち心に浮かんでくるあらゆる思いについて、

あ!コレは煩悩だ!
コレは煩悩じゃない!

なーんてね。
一所懸命分類しようとしてもキリがないように思います。

そもそも、煩悩があるのかないのか?にこだわることこそ、執着でもあるんですけどね。

全ては思考である

ま、煩悩というのはいろいろ種類があるように見えて、実は一個です。
それは思考による考えなんですねー。
そして、この考えがくるくると繰り返されること。
これが執着なんです。

このくるくる回転数が高速に回れば回るほど執着月よく働いているということになります。

つまり、頭の中のおしゃべりが高速回転になってるときは、まさに執着にハマってるということでもありますねー。

思考にツッコミを入れてあげる

そんな時にはね。
この頭のおしゃべりに向かって、
「うはっ!めっちゃ早口になってるやん!」
ってね。
ツッコミをいれてあげたらいいんです。
すると、頭の中のおしゃべりさんは、ちょっとテレます。
マジになってる時に、
「うはっ!マジやん!」
って言われるとちょっとテレるのと一緒ですね。

そして、すかさず「ありがとね!」
と声をかけてあげると、もう執着は消え失せてくれます。

なぜなら、お礼なんか言われたことのない頭の中のおしゃべりさんは、
お礼を言われると、もうそれだけで成仏してくれるからなんです。

手放すべきなにかがそもそも無い

執着や煩悩。これらはすべて頭の中に起こってくる様々な考えです。
そして、僕らはコレらを手にしたことすらありません。
実は掴み取っているふりをしているだけで、起こってくる考えを手掴みするのは不可能ですからねー。
だから、手放そう!手放そう!と頑張っても、本当は掴んでおりませんので、どうしようもないんですよね。
ただ、掴んでいると思い込んでいるだけでもあります。

元々掴んでいない。つまり頭の中のおしゃべりは、自分でありながら自分ではないっていうね。
妙なものなんです。

深刻さがなくなる時

起こってくる思いを裁き、断罪すると、自分は傷つき、だからと言ってこの思いをコントロールしたことすらないんです。なぜなら、その思いは自分ではないからですね。

ま、そもそも自分はいないから当然と言えば当然なんですが、ない自分に対してムチを打ち、自分が傷つく。
みたいなね。
そんな一人芝居が行われているわけです。

だからまずはそんな起こってくる思いに、フレンドリーに突っ込んであげる。
そして、「ありがとね!」と声をかけてあげることで、
起こってくる思いと友達になれるわけです。
友達になった思いは、思う存分表現されて、そして起こっては消えていくんですねー。

するともう、この思いに脅威を感じることもなくなります。
思いに深刻さというスパイスをふりかけなくて良くなるんですよねー。

すると、思いは煩悩になりませんし、執着にもならないんです。

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