Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らはストーリーに弱い

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はじめに

随分前だったと思いますが、
テレビでね、

新幹線に乗りながらその風景を巻物にものすごい速さで描いていく人が出てたんですよ。
まー、なんというかその技が素晴らしくてね。
しかも絵にも味があってカッコいいの。

で、僕も試しにノートでやってみようと思ったのですが、
一瞬でおいていかれました。

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんがよく乗る新幹線は何線でしょうか?

僕は東海道線です。
東海道線の景色といえば、富士山と、
冬に関ヶ原近辺だけが雪景色になっているのが不思議な見どころです。

 

気になる風景と、気にならない風景

ま、そんなわけで僕は電車に限らず、ぼーっと窓の外の景色を観るのが好きなんですよね。
木が風にあおられてグルングルンと揺れている様子を見て、
「もしかして、実は風なんて吹いてなくて、ただ木が悪ふざけに踊ってるだけだったりして、、、」
って想像してみたりね。

ま、そんな風景なんですけど、

例えばですが、
そこで、何やら男女が言い争いを始めたとしたらどうでしょう?

「あれ?なにか揉めてるのかな?」

って、ちょっと気になっちゃったりしますよね。

そのうち、人だかりができ始めたらどうでしょう?
更には、人だかりも右と左に分かれて何やら言い合い始めたら?

もう気になって仕方がなくなりますよね。

「奴らは何を言い争ってるんだ?」
「自分が聞いたら、どっち側になるんだろう?」

って気が気じゃなくなってくるかもしれません。

そのうち、言い争っていたみんなが肩を組んで踊り始めたら??

「えええええ!何があったの?何が起こったのぉぉぉ!!!!???」
ってなっちゃいますよね。

風景にストーリーが加わるとき

コレね。
同じ風景なのになぜ気になるのか?といいますと、
ただの風景にストーリーが加わったからなんですよね。

僕らは、このストーリーにめっぽう弱いんです。

満員電車での携帯電話の通話がなぜ迷惑なのか?というと、
相手の声が聞こえないから。
なんて言われてますのも、
会話からストーリーが読み取れないから気になっちゃうのでストレスになるってことですもんね。

そして僕らは、ストーリーの中心に、自分というものを据えるんです。
これはストーリーの中でそうしているだけなんですけどね。

いつしか僕らは、そのストーリーと自分を混同しちゃうんですよね。

これはまるで、窓に映る風景と自分を混同するようなものです。

当たり前ですが、風景は自分ではない

思考は自分ではなく、感情も自分ではありません。
そして、心もまた自分ではありません。

それらは風景なんです。

僕らはそれらの風景をただみているだけなんですよね。

ただ、その風景にストーリーが加わり、そのストーリーの中に仮の自分が出来上がってしまったんです。

もちろん、その自分はイメージにすぎませんから、実体はありませんし掴んでとっておくことも出来ません。
にもかかわらず、僕らはそれを実体だと錯覚し、とっておくことができると錯覚しているんですよねー。

だから、そのイメージの自分像が実在しているかのように信じているんです。

当たり前ですが、風景はコントロールできない

風景はコントロールできません。
もちろん、思考や感情も同じです。

できるわけがないコントロールをできると信じ、
同時にうまくコントロールできないことで悩んじゃうんですよね。

そして、自分以外のみんなはちゃんとコントロールしてると思い込んでいたりするんです。

ですが、もしそんな事ができるのなら、そもそもこの世に悩みは存在しませんし、
本屋さんにやたらと心と感情のコントロール本が多いのは、
誰もコントロールできないからだったりするんです。

 

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