Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸福と不幸と、のたりのたりと。

f:id:takuteto:20220209143354j:plain

はじめに

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さん。のったりしてますか〜。

春の海、ひねもすのたり のたりかな。

ってね〜。

これは、春の海って、一日中、波がのったりとしてるよねーってな様子が表現されているわけです。

たしかに、春の風の穏やかな温かい日の波打ち際って、
ザッパーン!とはなってませんよね。

のったりとした、音も聞こえないような小さな波がのたり、のたりってなってるだけで、
なんだか、その様子を頭に浮かべてみると、心ものったりとしてきますよね。

心がのったりしている時っていうのは、どういう時かといいますと、

あまり何も考えてないか、
もしくはどうでもいいことを考えている。

っていう時ですね。

つまりは、自然に在るということです。

なぜなら、すべてのことは、どうでもいいからです。

どうでもいいと聞くと、重要じゃない。つまりは重要度が低いってことかー!
って感じるかもしれませんが、そうではありません。

そもそも、重要度に高いも低いも無いってことなんです。

というわけで、今日ものったり行きましょう。

 

幸福の探求

さてさて、
僕らってついつい幸福を掴もうとするじゃないですか。

だから、幸福を探し求め探求するわけです。

でもね。
ちょっとコレって変じゃないですか?
だって、僕らは生まれたときは、そんなの探してはいなかったはずなんです。

物心がついて、大人になるに従って、
幸福を探さなければならないようになってしまったわけです。
元々はそうじゃなかったのに。

そして、幸福の定義を各々が決めて、それを探し求めるわけなんです。

幸福の定義

でね。
この幸福の定義ってね。
別になんでもいいわけなんですよ。

だって、幸福とはこうあるべきだ!って決められているわけじゃないですからねぇ。

もし、誰かにそれを決められているのだとしたら、ちょっと怖いですもんね。

つまり、何でもいいんだったら、もうこのまんまで幸福ってことにしてやれば、
探す手間も省けるわけです。

だってもう幸福なんですからね。

あとはもうオマケの人生をせいぜい遊べばいいだけですからね。

でも、
このまんまでは幸福じゃない!って思うのであれば、
それは、幸福じゃなくて、今、不幸を掴み取っているということになるわけです。

不幸を掴み取ってるから、幸福を探さなきゃならなくなっているということなんですよね。

不幸を捨てる

だとしたらね。
幸福を探すよりは、その不幸を掴むのをやめればいいだけなんです。

その不幸を掴まなければ、もう今ココが幸福ってことになりますよね。

ということは、幸福は常にココにあったんじゃん。探さなくても良かったんじゃん。
ってことなんです。

きっと物心ついた時あたりから、幸福じゃない何かを僕らはどこかで刷り込まれたのかもしれませんね。
そして、そんな刷り込まれた不幸を掴んじゃったから、どこかに幸福を探しに行かなきゃならなくなっちゃったのかもしれません。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!