はじめに
ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
一昔前のyoutubeのCMで
好きなことで生きていく!
みたいなキャッチコピーがちょっと話題になってたりしましたよね。
僕もよく、
やりたいことが分からなーいっていうご相談を受けるんですけどね。
わからないなら、別にそれは良いじゃんって思ってるんですよね。
好きなことで生きていくってね。
べつにそこに価値があるわけじゃないんですよね。
なんていうか、好きなことをするのにそんなに構えなくてもいいじゃんって感じといいますか。
だって、
「ラーメンを食べに行くっ!」
ってドヤ顔で言われたらどんな感じがします?
あっそう。
好きなんやね。ラーメン。
良いんじゃない?
って感じですよね。
そんな感じでね。
やりたいこととか、好きなことをするのも、
「今日はチョコ食べる。」
くらいの軽いノリで良いんですよね。
まるで、好きなことで生きていくことが別に絶対正義でもありませんからね。
そして、それこそが幸福だ!ということでもないんですよね。
そして、好きなことって別に探したり作ったりするものでも無いんですよね〜。
やりたいことがないならそれでいい。
まあそんなわけでしてね。
「やりたいことがない」ということで悩むっていうのはねー。
全く必要がないっていうかねー。
なんていうか、
「好きな色って何色ですか?」
って聞かれて、
「別にないなぁ〜」でも全く問題ないじゃないですか。
そんな感じなんですよ。
だから、やりたいことがなきゃボーっとしてりゃ良いんですよね。
どっちでも良い
やりたいことに突き進むっていうのもね。
もちろん良いんですけど、
やりたいこと無いからボーッとするっていうのも、
それはそれで良いんですよ。
そこに価値の差なんて無いんですよね。
そもそも、あらゆることに良いと悪いなんてものはないんです。
もちろん、ルール上はありますよ。
でも、ルールっていうのは、何かを円滑にするための単なる決まりごとであって、真実ということではありませんからね。
僕らの思考ってね。
(※思考の中に僕らがいるので、僕らの思考っていう言い方も変なんですが…笑)
なんでも良いと悪いに分けたがるんですよね。
そして、これは良くてこれが悪いっていう、妙な暗示にかかっちゃってるんです。
だから、好きなことがあるのが正義で、やりたいことがないを悪っていう暗示にかかってしまっているんです。
ま、思考は分離がないと働かない機能なんでね。
どうしても色んなものを無理やり分けて考えるわけですが、
このモノサシの一つとして、良いと悪いもあるわけです。
善悪がストーリーにリアル感を演出する
良いと悪いに分けるとちょっとリアル感が出るんですよね。
だから、好きこのんで何でも善悪に分けたがるんです。
その方がフィクションが面白くなるからなんです。
ただし、それはリアル感が出るだけであって、リアルではないわけでしてね。
そのリアルに押しつぶされそうになる必要なんて無いんですよねー。
な~んもせずに、一生過ごすのも、
いろんなことをやって一生過ごすのも、
どっちでも良いんです。
つまり、どちらも良し!なんです。
好きなことをやる中に幸福があるというわけでもありません。
幸福は常に無条件にココにあるんです。
良いと悪いの判断は条件ですからね。無条件じゃないんです。
そんな条件の中に幸福を探そうとすると終わらない探求になっちゃうんです。
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