Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

良いと悪いはセットで一つ

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。

プラス思考!だとか、ポジティブ思考!
なんて言葉が、若干苦手なタクさんです。

プラスだとかポジティブって、好きな人は好きですよねぇ。

僕なんかは、小学生の時の作文のタイトルが、
「根暗と言われる私」
だったこともあり、ポジティブって若干苦手なんですよね。

別にポジティブやプラス思考が優れているって思ってないと言うかね〜。
なんでプラスが良い!ポジが良い!なんていう前提を押し付けてくるのよって感じです。

あれってねぇ。
僕思うんですが、

プラス思考!だとかポジティブ思考!ってなことを
気にしてる人ほど、マイナスとかネガティブを気にしすぎてるんじゃないのん?

って思ったりします。

根暗っていうのは、言い方変えれば思慮深いってなりますし、
ネガティブはネガティブで良いこともあるじゃんねぇ。

っていうか、どっちでも良いじゃんねぇ。
なーんて思ったりもします。

どちらにせよ、捉え方次第でなんとでもなるってことなんですよね〜。

 

物事は捉え方次第

ま、いずれにせよ物事とは、捉え方次第で変わっちゃいます。
ただ、プラスとマイナスとか、ポジティブとネガティブってのは、
表と裏の関係性ですからねー。

表に強く執着すればするほど、裏も強く握っちゃうわけなんですよね。

これはコインの表と裏と一緒です。
表のコインだけ欲しい!ってなことは不可能でして、
表を手に入れれば、必然的に裏も手に入ってしまうわけです。

「え〜。でもぉ。物事は捉え方でかわるんでしょう?」
「だったら、プラスとかポジティブのほうが良いんですけど、、、。」

って思っちゃうのもやっぱり人間のサガでございます。

良いと悪いはセットで一つ

思いだって、やっぱり良いことだけを思ってたいもんですよね。
良い感じの思い。つまりフィルターを通したほうが、なんとなく世界はいい感じに映りそうだという気持ちもわかります。
ただ、やっぱり良いにこだわりすぎると、悪いの側面も無意識の内に掴み取ってしまうんですよね〜。
いずれ、無意識の内に掴み取っちゃった悪いをなんとか覆い隠さなければいけないってなっちゃったりもするんです。

でね。
心って面白くて、隠せば隠すほど、なんか恐怖だけは残っちゃうんですよね。
そうやって、色々とごまかしたり隠したぶんだけ、後で自分に帰ってきちゃうってな感じでね〜。

ちなみに、あらゆる思いが錯覚だ〜ってな感じで気づきが始まってくると、
大体は一番自分が見たくなかった自分が湧き上がってきたりすることがよくあります。

これも、隠せなくなってくるからだったりするわけです。

執着が落ちる時

ただね。
どんな後悔があったとしても、どんな嫌な自分がいたとしても、
それで良いんです。
その影が濃いほど、光もまた強いってことですからね〜。
あとは、お気楽にそんな自分を許しちゃえば良いんです。

実際には、どんな判断も観念も幻想のようなものですからね。
そんなものに自分をさらさなくても良いんです。

そうやって許しちゃえば許しちゃうほどにね。
思いを思いとして気づいてきます。

良いことだけ思ってたーいと思うのなら、
思いを思いとして気づいちゃうほうが近道なんですよね。

思いは思いというのは、言い換えれば、思いは自分ではないということです。

ただ、ややこしいことに、思いで自分を作ってるから、なかなかそうは感じられな買ったりするんですけどね。

思いを思いとして気づいたなら、ちょっと置いておけば良いんです。

すると思いは、勝手に必要な時に出てきては消えていきます。
コントロールする必要すらないことがだんだんと明るみになってきた時、
執着は落ちていくんです。

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