Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

執着とマジックテープ

はじめに

以前、「彼氏の財布がマジックテープ式だった!」
ってな話が話題になりましたが、
そんなダサいの代名詞であるマジックテープ式の財布も
そろそろ、逆におしゃれになるんじゃないだろうか?

なーんておもっているタクさんです。
どーもおはようございます。

僕も中学生の頃まではガンガンマジックテープ式財布を使っていたような気がします。

いいですよねぇ。
あれ。

皆さんはどんなお財布がお好みでしょうか?

さてさて、
今日は、執着というものをテーマに書いてみたいと思います。

よく聞かれることの一つとして、
「タクさんはもう執着はないの??」

っていう質問があるんですよね。

これねぇ。
ちょっと返答に困っちゃうんですよね。

きっとこの質問の真意としては、
ちょっと間違った固定観念があると思うんです。

そのへんもちょっと書いてみようかと思います。

 

間違った固定観念

間違った固定観念とはどういうものか?といいますとね。

いわゆる、悟りだとかなんだとか。
何でも良いんですが、そういうものがあると、
執着というものがなくなる。
とか、
いつもニコニコして、おだやか〜になる。

みたいなね。
そういう固定観念です。

これもね。
自分が何者かになる。
っていう錯覚からきていて、

その奥には、今の落ち着かない自分は嫌だから、
悟りだとかなにかしらのスキル的なものを手に入れて、
自分も穏やかで執着のない人間になりた〜い。

みたいなね。
そんな願望が隠れているんだと思うんです。

執着と私

そもそもなんですが、
執着と「私」というのは同じなんですよね。

執着を手放すっていうのは、「私」を手放すということなんです。

「私が〜〜」っていうね。
この私の部分が執着なんですね。

もうちょっと厳密に言うと、「私が〜」っていうのは勝手に出てくるんですけどね。
これに強くこだわってしまうあまりに、ペタッとくっついちゃう感じなんです。

この「私」を中心として組み立てられるストーリーが、
思考ですので、

私から執着がなくなる。
というのは、ちょっと矛盾があるんです。

執着から執着がなくなる。
私から私がなくなる。

って変ですもんね。

お気楽さ

思考が消えるっていうのともちょっと違って、思考能力がなくなるわけじゃありません。
ただ、ずっと「私」を掴み取っておかなくてならないっ!っていう
強迫観念がなくなるということなんです。

それ以外は別に今まで通りなんです。

これは、そもそも「私って思考だよね!」という気づきなんです。
そして、「思考はイメージでしか無いよね!」という気づきでもあるんです。

私が何者かになるっていうこととは、全然違うんですよね。
そもそも、何者でもないじゃんっていうお気楽さなんです。

このお気楽さに目覚める感じというのは、
まさに今まで「私」というものがベッタリとついていたのが、
剥がれてしまうという感じです。

ほら、マジックテープ式の財布だって、
何度も何度もバリバリバリッってしているうちに、うまくくっつかなくなっていくじゃないですか。
あれと同じような感じなんです。

だから、バリバリって剥がすつもりで、一旦思考を置いておいてみるのをオススメしておるんです。

 

 

 

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