Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦楽と平安

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

えーっと特技は、頭の中でサイコロが回せることです。

頭の中でサイコロを回すって、何の役に立つねん!
って思われるかもしれませんけどね〜。

これは、頭の中でイメージを作るのに役に立つんですよね。
誰にも見せることは出来ないのが玉にキズなんですが、、、。

ただ、頭の中でサイコロが回せると、デザインを作るのには結構役立つんです。

まず、打ち合わせ中に頭の中でだいたいレイアウトを作っちゃうんですね。
後はそれを形にするだけ!というあんばいです。

昔はね〜。
文字の大きさや色まで頭の中で描くことが出来たんですけどね〜。
最近はちょっと衰えてるような気がします。

皆さんは、
頭の中でどんなアートを描いておられますでしょうか?

 

苦楽

さて、皆さんおなじみの10円玉。
あの平等院鳳凰堂が描かれているコインなんですがね。

10円玉の表は10円と描かれている面ではなくて、平等院のほうが表なんですー!
ってな豆知識もあったりするんですが、
この10円玉。

表だけを握りしめることは出来ませんよね。

10円玉を握りしめるときは、必ず表も裏も一緒に握りしめるわけです。

また、エラーコインではないかぎり、この表と裏は分離されることはありませんよね。

表と裏は合わせてひとつなんです。
分かれていないんですね。

僕らの思考は、必ず何かを分離させないことには始まりません。

ですがこれらもまた、本来は分かれていないんです。

例えば、楽を求めるなら、苦もまた一緒についてくるんです。
苦楽もまた同じコインの両面なんですね〜。

苦だけを手放すことは出来ない

そんなわけでしてね。
苦を手放したい!苦だけを手放したい!というのはちょっと無理で、
苦楽を一緒に手放すことで手放されるんです。

ちなみに、この場合の苦楽というのは、何かしらの判断に基づく観念ということになります。
何かしらの判断というのは、条件ということですね。

僕らはいわゆる苦というものを握りしめているとき、条件も一緒に握りしめているんですよね。
その条件の捉え方によって、苦と楽に分かれるわけです。

ですが、実際に分離しているわけではなく、ただの表裏の関係ですので、
どちらかだけを取っておきたいというのは出来ないんですね〜。

平安

「えー!でも苦は確かにいらないんだけど、楽はほしいんです〜。」
って思うかもしれませんが、
いわゆる観念的な楽ってホントは全然楽じゃないんですよね。

結局その楽はいつ裏返ってもおかしくない楽ですからね〜。
楽を失う不安が常に付きまとうんです。

でも、この苦楽から離れると、ちゃーんとココに平安が在るんです。

刺激がなく、ただただ静かなので最初は物足りなく感じちゃったりするかもしれませんけどね。
この物足りなさもまた、執着の一つだったんですね〜。

この執着もまた、ただこの平安に在ることで消えていくんです。

そして平安にあってみると、苦楽もまた良いものだよねって感じられるんです。
これがやりたくて僕らはこの幻想にのめり込み始めたんです。

すると、どんな苦楽もまたいじらしく可愛らしいものなんです。

そしてどんな時も、この控えめで普段は目立たない平安がずっとここに在ってくれているんです。

なのでね。
物足りないという感覚はあるかもしれませんが、ただただ平安に在ってみることをオススメします。
最初は平安に感じなくて、何にもない退屈な無しかないって感じるかもしれませんけどね。
この退屈さ、物足りなさの幻想をやり過ごしてみてください。

 

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