Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今を味わう喜び

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はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

最近、NFTというものが流行っておるらしいですね。
デジタルアートの売買がさかんなようです。
まあでもねぇ。
デジタルのアートですからねぇ。飾れないですし。
作品についてはすごいな〜って思うものもあれば、
子供だましにみえてしまうピクセルアートなんかもあって、
そういうのは僕はちょっと、よくわからなかったりしますが、
こういうものって価値があると思う人が一定数いると盛り上がってくるんでしょうね〜。

今後、どのような動きになってくるのか楽しみです。

音楽や本なんかにも拡がってきて、出版やレーベルという概念が変わってくるかもしれませんね。

ま、いつの時代にも、
突然、「なぜこれが?」ってなものが流行ったりするものです。

例えば、戦国時代には茶の湯の大ブームがあり、茶器が大流行しました。
中には、お城よりも、さらには国よりも価値のある茶器もあったのだとか。

そんなお茶を楽しむ茶室は、目の前のお茶だけを楽しむ。
そんな工夫がされていたりするんですよね。

俗世のいざこざや、争いは、この室内には持ち込まない。
ここでは、目の前のお茶だけを楽しむ。

そんな空間だったそうです。

なんとも文化レベルの高い社交場です。
争いも絶えず、一寸先もわからない戦国の世では、
そんな茶室で味わう「今」はとても輝いていたんでしょうね。

 

常に今は輝いている

もちろん。
戦国の世だけではなく、どんな時も常に今は輝いています。

今、目の前のものだけをしっかりと味わうように感じれば、
ここにある「今」はとても奇跡的に輝いてくれます。

今、肌に感じる空気を味わう。
目に映る景色を味わう。
聞こえてくる音を味わう。
そして、
感じられる匂いを味わう。

五感を使って、な~んの判断も通さずに、
そんな「今」を味わうと、
なんとも味わい深いものが感じられます。

そんな「今」こそが全てであって、
解釈された思考の概念ストーリーは、今のどこにも存在していないんです。

ヘレン・ケラーの名言

目が見えず、耳も聞こえない。
だから、何もしゃべれない。
そんなヘレンケラーさんは、訪ねてきたお友達に、
「道中どんなことがあった?」
と聞いたそうです。

そのお友達は、
「特に何もなかったよ」
と答えたそうですが、それを聴いたヘレンケラーさんはショックを受けたんだそうです。

いろんな景色をみることが出来て、いろんな音を聴くことが出来るのに、
道中に何もないなんてありえないじゃーん!

なぜ、景色も見えて、いろんな音も聞こえるのに、何も味わってないの???

ってな感じでね。
それはそれは、ショックだったんだそうです。

そして、こんな言葉を残しました。
今日は、そんなヘレンさんの名言で締めたいと思います。

目の見えない私から、目の見えるみなさんにお願いがあります。

明日、突然目が見えなくなってしまうかのように思って、すべてのものを見てください。
そして、明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように思って、人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。

明日、触覚がなくなってしまうかのように思って、あらゆるものを触ってみてください。
明日、嗅覚と味覚を失うかのように思って、花の香りをかぎ、食べ物を一口ずつ味わってください。

五感を最大限に使ってください。
世界があなたに見せてくれているすべてのもの、喜び、美しさを讃えましょう。

ヘレン・ケラー

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