Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

不運と不幸は全くの別物

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はじめに

はいどうも。
おはようございます。
タクさんです。

僕は、下手なりにゲームが好きなんですけどね。

世界最古のゲームといわれているのが、バックギャモンという、すごろくゲームなんだそうです。

すごろくは双六と言う字を書きまして、

「双」が二つという意味。
「六」がサイコロを意味しておりまして、
サイコロを二つ使って遊ぶゲームなんですね。

そんなすごろくですが、その歴史をさかのぼると、
なんと今から約5000年前のメソポタミア発祥と言われております。

そんな昔からゲームは人に遊ばれてきたんですね〜。

ちなみにこのゲームは、二つのサイコロで6が出ると有利なんだそうです。

サイコロで勝ち負けが決まるっていうのは、運要素もゲームの勝敗に左右してくるってことでは、なにか僕らの人生のようでもありますね。

と、言うわけで、
ちょっとつながりにむりやり感があるかもしれませんが、
今日は、
不運と不幸ということをテーマにして書いてみたいと思います。

 

不運と不幸

不運と不幸ってね。
なんか同じようなことって感じたりしますよね。

本来は全く別物なんですけどね。

なぜか、不運=不幸。っていうね。
そういう方程式が出来上がってしまっていたりするんです。

この実際には存在しない方程式が無駄な不幸を作り上げていたりするんです。

実際には、不運と不幸は全くの別物なんです。

だから、不運を不幸に結びつける必要ってないんですよねー。

不運は単なる条件定義

では、不運とはなにか?というと、あらかじめ設定した条件から外れる。
と言ったようなことですよね。

条件をつけなきゃ、不運は生じないんです。

これはまさに、サイコロといっしょです。
そもそもサイコロを振って出た数に正解も不正解もありません。

ここに、
奇数が出ればオッケー!ってね。
勝手に決めてサイコロをふる。

そして、偶数が出ると、オッケーじゃない!
ということになる。

これを僕らは、不運と呼ぶわけです。

ただ、これはただの不運であり、不幸ではありません。
条件を決めて、それに沿うか沿わないか。
それだけの話なんです。

条件にパワーを与えると不幸になる

この条件にパワーを与えると、この条件は力を持ち出します。
そして、この条件に沿わないと感じた時、僕らは不幸を感じるんです。

条件にパワーがあるわけではなくて、ただ、そういうことにしているだけなんです。

だから、この条件には真実性は一切ないんです。

奇数が優れていて、偶数が劣っている。
ということが無いのと同様です。

ただそういうことにしているだけ。
これは、こういうルールを採用しているだけなんです。

すごろくゲームと一緒なんですよね。

不幸とは、そうみなしているだけのことに、仮想のパワーをあたえることによって生じるわけですが、僕らは「そうみなしているだけ」ということを忘れていたり、
仮想のパワーを本物のパワーのように錯覚しているんです。

そして、このパワーに押しつぶされそうな感覚を感じることで不幸を演出しているというわけです。

ま、そういうことですのでね。
不幸を嘆くのは、程々にしておいて、

なかやまきんにくんのように、鼻の抜けた声で、
「パワー〜〜!」
って叫んでみたあとは、
何度でもサイコロを振り直してみたら良いですし、
前提条件のルールをやめて、他のルールを採用してみても良いわけです。

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