Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

優しい救い

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はじめに

バファリンの半分は、
やさしさでできている。

というわけでねー。
おはようございます。
タクさんです。

ちなみに、バファリンのやさしさとは、胃に優しいということらしいです。
つまりバファリンの半分は胃薬ということですね。

なんじゃいっ!
胃薬混ぜただけかい!

なんてねー。
ゆ〜てるわけですけどっ!

みなさん。ごきげんいかがでしょうか?

さてさて、
バファリンはやさしさでできているとして、
僕らが、こうやって読んだり書いたり話したり聞いたりしてる言葉ってね〜。

何でできているのか?
といいますとね。

やっぱり、それは条件付けで出来ておるということになります。

あらゆる言葉は条件付けの組み合わせなんですよね。

この条件付けを絶妙に組み合わせることによって、
ぼくらは、目の前にないものを伝えることができるわけです。

今日のお月さんはまん丸やったで!
とか、
夕焼け空が真っ赤やで!

ってな感じでね。

どんな赤?と聞かれると、
ちょっとだけ、黄色寄りの赤!

みたいな感じでね。

同じ赤でも、どす黒い赤から、黄色寄りの赤まで、
絶妙な条件の組み合わせで、いろいろと表現できて、
お互いの脳内になるべく同じイメージを作り出して共有しようと試みるわけですね〜。

 

イメージはどこまでいっても幻想

ただ、そうやって作り出されたイメージってね。
実際にあるものじゃないですよね。
無いものを有るとしているだけです。

あなたも私もない。
なんて表現が非二元ではあったりしますが、
この表現について、
でも私が考えている思考。つまり私がみているイメージは、
他の人がみているイメージと違うから、やっぱり私とあなたはいるんじゃないの?
ってな質問をよくいただくんですけどね。

どんなイメージをしていようが、イメージは有るものじゃありませんのでやっぱり幻想なんですよね。

優しい救い

でね。この幻想を取り払うと何が残るのか?
というと、無条件な、まっさらのありのままの全てが残るというわけです。

僕らが見逃しているのは、この無条件なありのままなんです。

そして、これを言葉で表現できないのは、言葉は条件付けをする道具だからなんです。

ちなみに、思考はこの言葉を紡いだストーリーですのでね。
思考で掴み取ることもまた出来ないわけですね〜。

思考で捉えたものは全て条件づけされたイメージです。

そして、この条件付されたイメージで何かを捉えることによって、
僕らは、その何かを条件づけしてしまうんです。

この時に、無条件さを見失っているわけです。

目の前のコレを直視しながら、コレと違うものをイメージとして作り上げているというわけですな。

だから、条件付けをやめてしまえば、もう一発でコレを発見できるわけですが、
条件付けをやめるってのもまた一つの条件付けになってしまうわけです。

ここが大きなパラドックスになっておるわけなんですね〜。

となると、一見袋小路のような感じもするわけですが、

でも、そんな条件付けをしつつ目の前のすべてを見失ったかのように騒いでいる自分をね。
優しく受け入れて抱き寄せてあげたなら。

「あ、そっか。もうそれでええのか!」

っていう気付きがちゃんと向こうからやってきてくれるっていうね。
そういう救いもちゃーんとあるんですよね。

 

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