Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

当たり前の中に隠れる素晴らしさ

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はじめに

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

皆さんはドラえもんはお好きでしょうか?
僕が子供の頃からやってたドラえもん。
今も子供に人気だなんて、もはや驚異的ですね。

そんなドラえもんの代表的な道具の一つはタケコプターです。

でね。
このタケコプター。
僕はこれってかなり首に負担がかかるんじゃないか?
って心配していたんですが、
実は、藤子・F・不二雄さんが、しっかりとタケコプターの機能について説明されていたんですよね。

藤子先生によると、タケコプターは、周囲に無重力空間を作り出す機械なんだそうです。
あのプロペラは、ちゃんと機能しているかをみるためのものであって、
いわゆるスマホの電池残量をみる。みたいなものなんだそうです。

だから、あのプロペラの風力で飛んでいるわけではないので、
首への負担も一切ないわけですね。

うーん。
これなら納得ですわ。
やっぱ買いですわ。

 

一見退屈な当たり前

さてさて、ぐっと話は変わりますが、
いわゆる当たり前のことってあるじゃないですか。

僕らは普段そんな当たり前のことってね。
改めて見ることなんて無いんですよね〜。

それよりも、何かちょっとでも刺激のあるもの。
そっちの方をみたがるんですよ。

当たり前のことって、僕らにとっては退屈なことなんですよね。

退屈だから見逃されるんです。

でもこんな当たり前のところに、大事なものは隠れておるわけですね。
なぜなら、当たり前というのはあらゆる全ての大前提ですからねー。

奇跡というのもまた、当たり前であるということの中にあるわけです。

才能も当たり前の中に隠れている

また、あなたの才能も当たり前の中に隠れています。

当たり前のこととは、自分はそれを出来て当たり前って思ってることなんですけどね。

こういう当たり前だと思っていることってね〜。
結構自分にとってはどうでもいいことだったりするんですよね。

だから、そんな当たり前のことってね。
普段は全く意識してないんですよね。

でもねぇ。
実はあなたの才能っていうのは、自分自身が当たり前だと思っていること。
この中に隠されているんですよね〜。

でも、そんなことには気づかずに、
自分は持っていない他の人の才能をみては、
自分と比べちゃったりするんですよね。

当たり前の中に隠れる素晴らしさ

素晴らしさっていうのも、当たり前の中に隠れているんです。
いわゆる「コレ」とか「ソレ」というもの。
真理と言ってもいいのかもしれませんが、実際には一切の言葉を超えたもの。
これもまた、究極の当たり前の中に隠されています。

この究極の当たり前が目の前で開かれる前段階に、
究極の退屈さが横たわっているんです。

この退屈さ、なんでもないもの。

ここにただ在ってみるんです。

なんでもない。なんの意味もない。
そして、名前すら無いなんでもない今ココ。

それは、なんの判断も通さない、今ココです。

ここにただ在ってみることで、この当たり前が全てとしてあらわになるんです。
あらゆる特別さも全部この当たり前に溶け込み、全てだけが残るんです。

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