Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

大人の成熟

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ニーチェの名言の中にね。

「成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味をふたたび見出したことである。」

っていう言葉があるんですよ。

子供の時の遊戯の際に示した真剣味。
これはねぇ。
言い換えると、無条件のワクワクです。

あのワクワクを大人になった今、再び見出すこと。
これが大人の成熟だ!ってニーチェは言っているわけです。

いやー、いいこと言いますねー。ニーチェさん。

みなさん。
ワクワクしておりますでしょうか?

いや、マジでね。
今感じていること。この感覚。
自分の中をこれだけにしてみると、それだけでワクワクしてくるんですけどねー。

こんなワクワクを阻害するもの。

この筆頭格がね。
いわゆる「価値」という幻想なんです。

僕らは、この幻想に巻き込まれるにつれ、あのワクワクを忘れていってしまったんですねー。

というわけでね。
今日は、目指せ大人の成熟!ということで、このワクワクについて書いてみたいと思います。

 

やりたくないことやってる暇はない

みなさん。
ワクワクしておられるでしょうか?
そもそもなんですけどね。
僕ら生きとし生けるもの。この核にあるもの。
それがワクワクなんです。
だから、ぼくらは元々ワクワクの塊なんですよ。
なので、僕らは自分自身であることの邪魔さえしなければ、
ワクワクそのものなんです。

でも、大人になって、
なんかワクワクが無くなってきたなぁ。
と感じておられるのだとすれば、
それはきっと、「やりたくないこと」をやっている。
という可能性があるんです。

この「やりたくないこと」をやってると、
途端に、ワクワクの火は消えてしまうんですよね。
それは、生き物として不自然だからなんです。

やりたいことは無条件である

子供にやりたいことをやれ〜!って言ってみるとね。
もうすぐに遊びだすじゃないですか。

まだ言葉も話せないような子供だったなら、やりたいことしかやってません。
やりたいこと、やりたくないことの区別すら無いはずです。

これがねぇ。
不思議なことに、大人になったら
やりたいことをやれ〜!って言われても、

「このやりたいことは、仕事として成り立つかなぁ?」
「これをやっていて、なにか意味はあるかなぁ?」

とか考え出すんですよ。

意味とか仕事などといったような価値観にさらすことによって、
ワクワクを消し去ってしまうんです。

大人の成熟

価値というのは、分離の材料です。
分離をする際に、価値のある・なしで分けるものですからねー。
そしてその分離があらゆる欠乏感を演出し、欠乏が自分を足りないものとし、それを埋めるために探求する。というサイクルになってくるんです。

このサイクルにハマると、常に欠乏感を感じることになってしまうんです。

もちろん、この分離というものは幻想ですし、価値という観念も幻想です。
そんな幻想が不幸を呼ぶんです。

本来やりたいことというのは、無価値であり、無意味であり、無計画なものなんです。
だから、まず無価値を遊ぶんです。無価値を無計画に無意味に遊ぶんです。
これが自然の姿なんです。

この自然に戻っていくこと。この自然を再び見出すこと。
これこそが大人の成熟だというわけなんですね〜。

 

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