Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

条件からの目覚め

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ほい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
お元気でしょうか?

ぬおぉー!
どうしよぉー!
不安ーーー!

なんて思いもね。
湧いてくることもあるでしょうけど、
まあ、わからんものはわかりませんからね。

僕らは思考をよりどころにしているとき、
わからないことが起こると、どうしても不安になっちゃうもんですのでね。

それはそれで、全然イイことなんですが、
ずっと不安ってのもシンドイですので、
そんな時は、わからんことは置いておいて、
誰かの笑顔を祈るってなことも、してみたいもんですね。

人と人が触れ合うと、うつってしまう感染は、
人と人とが触れ合わなければ生きていけない人間には、
大きな弱点ではありますが、

人と人とが触れ合うことで大きな力を発揮するのもまた、
人間のいいところです。

誰でもいいので、どこかの誰か、たとえば子供の笑顔を思っていると、
不思議と不安も落ち着いてくれるものです。

もう一つの僕のおすすめ不安解消は、ニヤニヤです。

ちょっとシンドイなぁと感じた時は、
ゆっくりとふかーく呼吸をして、
落ち着いてきたなら、
ちょっとニヤニヤしてみてください。

 

 

思考をよりどころにすること

思考がよりどころになっていると、わからないことについては、
もう我慢ができなくなっちゃいます。
それは、わからないことがあると、よりどころになってくれないからなんです。

僕らはついつい、思考をよりどころにしちゃうことがありますが、
思考はそもそも、僕らが使うツールです。
ツールは便利ではありますが、あくまでも使うものなので、
よりどころとしては常に頼りないものなんです。

ましてや、今回のような世界中の誰もが初めてでわからないことに直面している時に、
思いをよりどころにしようとしても、余計に混乱しちゃうんです。
もちろん、しっかりと頭を使うことは大事です。
でも、使うのとよりどころにするのとは違いますからねぇ。
わからん時こそ、自分をよりどころにしなさいよっ!というサインなのかもしれませんね。

自分をよりどころにするということ

自分をよりどころにするっていうのはねー。
なんていうか、自分をちゃんと認めてあげるってことなんですよね。

ほら、僕らって生まれてこの方、散々いろんな条件を教わり続けてきたわけです。
それはそれで、楽しい反面、僕らはこの条件によって、かなり自分を過少に評価しちゃったりしているわけです。

だって、条件って比較じゃないですか。

その比較に自分をさらしつづけることで、
僕らはあるがままの自分をいつしか認められなくなっちゃったりしているわけです。

なのでね。
わからんことに不安になる時、僕らは今一度、わからんことはあるにせよ。
まあそれでええやないか!
ってねぇ〜。
わからんままのワタシをいちど無条件のまま抱きしめてあげたらいいんです。

条件にさらされてきたワタシ

無条件のワタシをだきしめてあげると、
いかにいろんな条件にワタシをさらし続けてきたのかに愕然とするかもしれません。
「えー!そんなに自分にダメ出ししてたんやぁ〜。」
「そりゃーアンタも大変だったね。」
ってなもんです。
条件こそ幻想のようなものです。
もちろん、条件で遊ぶのはいいんです。
でもあまりに遊びに夢中になりすぎて、僕らは遊びを深刻さにかえちゃって、
無条件なワタシの完璧さを見失ってしまっていたりするんです。

わからない時に、思考に頼らず、そのまんまに在ってみることで、
無条件なワタシは受け入れられます。
この無条件なワタシを許し愛でてあげることで、僕らは条件から目覚めるんです。

 

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takuteto.hatenablog.com

 

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