【はじめに】
はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
よくね。
全ては至福だ!
っていうじゃないですか。
それを知りたくて、悟りたーいってなると思うんですけどね。
この至福ってちょっと誤解をされている節もあるな〜って感じるんですよね。
至福といえば、まー言葉通り、幸せの中の幸せ。
キングオブキング!
みたいなね。
そんなイメージがあると思います。
そもそも、至福という言葉自体が、そういう意味ですからね。
だから、どうしてもその至福を手に入れたい!って願っちゃうのが人としてのサガなんです。
なぜなら、人は幸せを求めるものですからねー。
ま、この場合の人というのは、心の機能のことなんですけどね。
この機能は幸せを求めるようにできておるんですね。
この機能の働きとしては、よりよくなることで自分を守る!
ということになってるんです。
だから、至福なんて言われたら、是非手に入れたーい!ってなるわけですが、
いわゆる非二元とか悟りで言われている至福というのは、
幸せの中でも最強の幸せ!ということじゃないんですよねー。
僕らの思考でイメージされる幸せというのは、ある種の条件をクリアしたものとして定義されております。
だから、僕らはこの幸せの条件を求め、それを欲しがるわけですが、
この条件のないもの。
つまりは、この条件から解放されたところにある幸せ。
これを至福と表現しているんですよね。
これね。
言い換えると、普通の幸せは、何かの条件を手に入れた場合ですが、
至福というのは、不幸がない状態とも言えるんです。
普通の幸せはなぜ至福になれないのか?というと条件があることによって、
その条件が崩れるリスクが常に存在するからなんですねー。
【不幸はどこにある?】
不幸がない状態ってなに?って話なんですが、
そもそも、幸せも不幸もとある条件、つまりは定義づけがあって初めてあるものでして、
不幸をなくすというのは、この条件をなくすということと同じことなんです。
でね。
この条件って、実はそもそもあったことなんて無いんですよね。
だから変な話なくすことすら必要ないんですよね。
僕らはないものをあると錯覚しているんです。
そして、真珠を手に入れて喜んだり、念仏をありがたがっている!
というわけですね。
つまり、豚に真珠。馬の耳に念仏。というわけです。
僕らが豚や馬のようだ!と言っているわけではありませんよ。
もし、その条件が実際にあるものならば、豚だって真珠を喜ぶはずですが、
そうはなりません。それは豚がその条件を採用していないからです。
条件を採用するとはどういうことか?というと、
そう思い込む!ということ。
それだけなんです。
思い込みには実体はないんです。まさにお化けのようなものと一緒なんです。
だから、この世は幻想であり、夢のようなものだ!と言われておるというわけです。
ここでいうこの世とは、頭の中で紡がれたストーリーなんです。
【意味を求めると途端に不安になる】
この頭の中で紡がれるストーリーには、この条件付け、つまりはルールですね。
これがあって初めてストーリーが紡がれる土台ができ、そこに良い、悪いや意味付けがどんどん付け加わって、出来上がっていくんです。
この意味によって良いと悪いが分けられてしまうわけですねー。
そこに、より良くならなければならないという防衛反応も加わることで、
良い方に進まなければ!という脅迫観念が生まれ、そこに不安も生まれるんです。
「うはっ!これらの条件付けってホントにないんだっ!」
と知ること。
つまり悟ることで、不幸はこのありもしない条件付けによって起こる思考の中にしかないんだー!
ということを知るんです。
ただ、この知ったことを、また条件付けの方に持ってくるとややこしいことになるんですけどねー。
この辺のことはまたテーマにしてみます。
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