Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考と自転車

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はじめに

はい。
補助輪なし自転車に乗れるようになったのは、
妹よりも後だったタクさんです。

まー、そんな自転車なんですけどね。
普通に自転車を置いておくと気
補助輪があるとねー。
自転車は漕がなくてもコケません。
ですが、補助輪がないとコケてしまいますからね。
スタンドとかをしないとねぇ。

だから、子供の頃は補助輪なしで自転車が倒れずに走るってのが不思議でなりませんでした。

ま、皆さん御存知の通り、
自転車は漕ぎ続けることでコケなくてすむわけです。

まー、そんな自転車なんですけどね。
なんだか、思考や定義付けと似てるなぁ〜。
って思ったりするんですよね。

思考や定義付けというのは、
自転車で言うところの推進力です。

ペダルを踏んで漕ぐ行為ですね。
それをしている限りは、自転車は安定して走り出し、
漕げば漕ぐほどにスピードも上がってくるわけです。

思考や定義付けもね。
これと一緒で漕げば漕ぐほどに安定して、
たくさん漕ぐほどより自分をいい場所へと運んでくれるような気がしたりするんですよね〜。

 

思考はどこかに連れて行ってはくれない

ただ、思考というペダルをいくら早く漕いでみたとしても、
ありとあらゆる定義付けを身に着けたとしても、
実際にはそれらはどこにも連れて行ってくれはしないんですよね。

だから、まだ漕ぐのが足りないんだ。
って思ったりして、よけいにたくさん漕いだりするわけなんですが、
漕げば漕ぐほどに、やっぱり疲れてしまうんです。

思考や定義付けを増やせば増やすほどに、
自分の至らなさを感じたりしてね。

勉強すればするほど、わからないところが増える。
みたいなのと一緒でね〜。
まあ勉強ならそれはそれで楽しいわけですがね。

でもこの場合は、わからないということの至らなさを自分に向けちゃうので、
まるで自分が足りないもののように錯覚してしまいますのでね。
そうなると、ちょっとツラかったりもするわけです。

漕がなくても大丈夫じゃんという発見

このはなしはね。
こがなくても大丈夫じゃん!コケることもないしケガをすることもないじゃん!
という発見の話なんです。
この発見は、どんな定義づけや思考を当てにしなくても、
ちゃんとやっていけるんだ。
っていうか、そもそも思考って絶対に必要なものじゃなかったんだ!
という発見なんです。

ま、この発見があったとて、思考は今まで通りに働き続けるわけですけどね。
これもまた、自転車と一緒で、漕ぐのをやめたところで急に自転車は止まらないのと同じです。

これは、思考や定義付けがなくても大丈夫なんだ〜!
と知ったとしても、まだ思考の癖や定義付けの癖が残っているということです。

ま、このクセについては、観てあげることくらいしかできません。
ですが、ちゃんと観れたなら、それはクセであることが明らかになってくれるんです。
そして、クセだと明らかになると、このクセは落ち着いてくるんです。

そんな感じで、思考の働きはなくなりはしないんですが、
徐々に落ち着いていくわけです。

 

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