Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考とは探求である。主体者はいない。

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは、自転車とか乗ったりしますか〜?
なんかカッチョいい自転車が最近流行ってたりしますよね。
ロードバイクってやつ??

僕は中高生の頃は、体の一部になってるんじゃないか?ってなくらい
ずっと自転車に乗りまくってたんですが、大学生以降はほとんど乗らなくなりました。

たまに自転車で行くかーっ!ってなときは、
ママチャリを乗りますがねー。

さて、
そんな自転車はダイエットにも良いらしく、
そこそこの運動量があったりしますよねぇ。

なので、ずっと自転車を漕ぎ続けてたら、そりゃー疲れてきます。
猛スピードで自転車を漕いでると、前しかみてませんから視野も狭くなります。

いい加減疲れたなぁ。
となると、漕ぐのをやめて立ち止まりますよね。

すると、周りの景色も復活してくるんです。

もし、自転車に乗りながらにして、自転車を漕いでいるのを忘れたらどうでしょうか?
なんだか視野は狭く、目の前しかみえませんし、
なんだか、どんどん疲れてくるし、
でも、どうしたらこの疲れから解放されるのかもわからない。

なんてことになりますよねぇ。

誰かに聞いてみたなら、
「自転車漕ぐのをやめて、ちょっとゆったり休憩すればいいじゃん♪」
って言われるに決まってます。

当たり前ですよね。

僕がここで書いているメッセージも、実はこれと同じなんですよね〜。
僕らは自転車を漕ぐかのように、くるくると回る思考に巻き込まれて疲れちゃってることがあるんです。

 

わしゃいったい何をしとるのか?

ただ、ややこしいのは、誰かが何かをするという観念もまた思考ですのでね。
思考をする主体というのはどこにもいないんです。

だから思考をするのをやめよう!とすると、こんどは「思考をやめよう!という思考」が出てきちゃったりしてややこしくなっちゃうんですよね。

そんな思考は、主体は私だ!という思い込みを元にくるくると回りだすわけなんです。
この主体は私だという勘違いに気づくには、ちょいと思考から心の距離を取ってみるしかありません。
この実際には存在しない距離をとるコツの一つとして、思考をただ観るというものがあるわけです。

ただし、この「思考をただ観る」ってのも、やろうとしちゃうと思考にハマってしまいますのでねぇ。
なかなか、どうしたら良いのか?と悩みごとではあるんですが、どちらかというとやってることをやめてみるという方が近いんですよね。

ですので、何をしているのか?を観てみるんです。
そのためには、まず何をしとるのか?ということに気づく必要があります。

思考とは探求である

そもそも思考は何をしとるのか?といいますと、基本的には探求をしております。
いわゆる探求のエネルギーを原動力にくるくると回ってるという感じですかね〜。

この探求に気づくことで、「何をしとるのか?」ということにも気づくんです。

そして、何をしとるのか?というのがバレると思考って途端に注目を吸い寄せる力を失うんですよね。

だから、この探求のエネルギーに気づけば良いんです。

分析する必要はありません。ただ気づくだけでいいんです。

ではこの探求のエネルギーに気づくコツはといいますと、
イヤーな思考が出てきたときなんかがチャンスなんです。

「あーやだなぁ。」
「腹が立つなぁ」
「めんどくさいなぁ」

ってなときがチャンスです。

そんなときにすかさず、
「いいじゃん別に!」
って言ってみるんです。

そうするとね。
いいわけないだろー!っていう衝動が湧き上がってくるんですよね。

この衝動が探求のエネルギーなので、ココですかさず
「お前かっ!」とツッコむんです。

このツッコミについてはよくココでも書いてますのでご存じの方もおられるかと思いますが、このツッコミがコツなんです。

ツッコむだけで大丈夫です。それ以上の詮索は必要ありません。
それだけでガクンと探求のエネルギーがしぼむんです。

 

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