Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

至福は幸せの最上級じゃないんですよね〜。

はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん、きょうもアホアホしてますか〜?
アホになるというのはね。
知識や知性を全体に溶かすっていうことなんです。

アホにとどまることで、自我ちゃんは全体に溶け出すんですよね〜。

でね。
そうやってとどまる。
つまりただ在る。
ってのをやってますと、きっとこんなことに気づくかもしれません。

それはねぇ。

「んごー!退屈だ!」

ってやつです。

なんか、なーんにもキラキラいしないし、至福感も感じられないし、
退屈だし、これであってるのかなぁ?
とかね。

色々と出てくると思うんですよね。

もし、そんな色々が出てきたんだとしたら、
まだまだ、アホが足りておりませんので、

追いアホを加えてやりましょう。

 

至福は幸せの最上級?

至福ってね。
言葉の雰囲気から感じ取ると幸せの最上級!って感じがするじゃないですか。
だからものすごーい多幸感があるとかね。
そんなイメージをするかと思うんですけどね。
至福ってねぇ。
ものすごーく薄味なんですよ。

でね。
この薄味って最初はものすごーく退屈に感じられるのかもしれないんですよね〜。

なので、
「ん?これであってるの??」
って感じるパターンもあるかもしれません。

そうなるとその後、ついつい確かめたくなっちゃりするんですよね〜。
この確かめたくなるっていうのはね。
どちらかというと、かしこ方向なんですよ。

アホ方向とかしこ方向があるとするとなんですけどね。

そしてまた、通常のかしこを求める方向性に戻されてしまう。
って事になっちゃうんですよね。

智慧

かしことは、いわゆる知識や知性で物事を分析しようとする方向性です。
そして、その先にある分析結果を得ようとする働きなんです。
このかしこはありとあらゆることを分析します。
そして、いろんなことを知った気になるんです。

確かめたくなるっていうのもこういった働きなんですよね。

ほら、僕ら人間って、動物の中でも一番偉い知識生命体だ!
ってねー。
勝手にそういうことにしたりしてるじゃないですか。
万物の霊長だ!
とか言ったりしてね。

自らを、最も優れた存在を意味する霊長だ!霊長類だ!
ってね〜。

そう思っちゃうことこそ、アホなんですけどね。
このアホさを認め受け入れることで、
あらゆる知識や知性をスーッと手放すんです。

これがアホ方向なんです。

常に分析にさらされていた自我ちゃんにとっては、
それは退屈に感じられますし、
自我ちゃん自身も分析によって生じていますので、
これが手放されることに恐怖を感じるかもしれません。

ここでもっと追いアホを加えてやって、
ただただ、今に在ってみるんです。

そうすることで、あらゆるかしこは全体に溶け出していくんです。

退屈さというかしこの抵抗を抜けた先に、なんでもないの極地が広がるんです。

この極地こそがアホの完成形であり、これこそが知識や知性を超えた智慧なんです。

 

 

 

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