【はじめに】
ほい。
おはようございます。
タクさんです。
思考に同化するってね〜。
よくいいますよね。
では何が同化しているのか?
ってことなんです。
自分が同化しているってね。
普通は思うと思うんですが、そもそも「自分」というのは思考の一部ですのでね。
これは同化していて当たり前なんですよね。
「自分」を思考から剥がそうとしても無理なんです。
そもそも、「自分」というものは、思考そのものだからねー。
でも、自分を思考から分離させたいとチャレンジすることで、
変にハマっている人も多いのかもしれませんね。
というわけで、今日は同化のカラクリについて書いてみたいと思います。
【思考は体とくっついている】
心と体。人間の全部。
ってねー。
ま、僕のお気に入りのコピーなんですけどね。
でも、ツッコミを入れるとしたら、
心と体が全部じゃないんですよね。
それは、ごくごく一部なんです。
ただ、心と体は密接につながっているんですよね。
ちなみに、ここでいう心とは思考です。
実際に心という言葉は、色んな意味に当てはめられたりするので、
体もまた、心の一部とする場合もあるんですけどね。
でも「心と体」と言うように分けて表現しているのであれば、この場合の心とは思考になるわけです。
ちなみに、感情は体パートと思考パートが合わさって出来ております。
だからね。
思考と同化していると感じるときって、思考と体が同化してたりするんですよね〜。
思考と何が同化しているの?というと体なんです。
そして、その時には、感情も伴っているんです。
なぜなら、感情は思考パートと体パートが一緒に反応するものだからなんです。
思考と体の橋渡しを感情がやってるって感じですね。
逆に、感情の伴わない思考に同化するってことはほとんど無いんです。
思考と体が同一化するときってのは、感情が伴うというわけですな。
【体は気づきとくっついている】
いわゆる悟りの修行として行われている、瞑想とか座禅とかってやつは、
この思考と体の同化を解消するってな効果を期待してやってる場合が多いんです。
思考を置いておきましょう。そして、今ある感覚だけを感じてみましょうってやつですね。
うまくいくと、徐々に思考と体の同化がほぐれていくんです。
そしてね。このつぎは、この体の奥に意識を向けるってことをやるんですね〜。
そうなんです。体は体で、つながっているものがあるんですよね。
思考と体がつながっているのと同様に、体は、その奥にある「気づき」とつながっているんです。
僕らは体の感覚はダイレクトだと感じているっておもってたりするわけですが、実は違ってね。
体の感覚は気づくからこそあるわけでして、
体と気づきはつながっているんですよね。
そして、「気づき」のほうが、先立つんです。
つまり、本質に近いのは「気づき」なんです。
体の反応に気づいている者。それが気づきです。
思考を置いておくのと同様に、体の感覚を置いておくと、気づきが残ります。
ああ、私というのは、思考でも体でもなく、「気づき」なんだ!と知るわけです。
【気づきは全体とくっついている】
この辺までくるとかなりいい感じなんですけどね〜。
そして、この「気づき」が本質であるという気づきは、悟りと混同されることも多くてね。
ああ、私はとうとう至った。と錯覚する方も多いわけですが、でも「気づき」には、まだわずかに「私」という概念が残ってるんですよね〜。
ただ、もう全てが「気づき」なんだと知ると、結構楽になったりします。
ですが、これはまだ、分離の中にあるわけなんですよねー。
そして、思考と体。体と気づき。これらと同じように、気づきにもつながっている何かがあるんです。
それがねー。全体なんですよね。
全体と気づきの間につながりがあるんです。
簡単な図で表すと
思考=体=気づき=全体
と言った感じでしょうかね。
これは思考の奥を探ったり、体の奥を探ったりという感覚じゃなく、
気づきを溶け込ませていくって感じが近いかもしれませんね〜。
あえて言葉にすれば、ですけどね。
この辺りのことは言葉ではうまく説明できません。
でも、気付きがじわーと溶け込んだ時、全体が目覚めるって感じなんですよね。
これもまた、言葉にした時点でウソになっちゃうんですけど。。。
そして、この全体に目覚め始めると、「思考=体=気づき」なんてものは、
広大なキャンパスの中にある、小さな点に過ぎない!ということを知るんです。
【そして、何もくっついていないし分離もない】
そして、この段階では、もうあらゆる概念が崩れ去っておりますので、
そもそも、全てしか無いじゃん!ってなるんですよね。
思考=体=気づき=全体
なんていう図もただのでっち上げに過ぎない。
これは、思考を納得させるためのウソの方便でしかない。
ということを知るわけです。
と同時に、すべての段階は同時進行もするので、何も失わないんです。
色と空を行ったり来たりするんじゃないんですよね。
同時進行なんです。進行すらしてないんですけどね。
ここではもう説明する言葉すら持ち合わせないんです。
在るとか無いとか、そんなものも消し飛びます。
そもそも、そんなものありゃしないじゃんってな感じでね〜。
この辺のことが、非二元話を聞いた思考が、掴みどころがなく煙に巻かれているように感じるゆえんなのかもしれませんね。
そして、この全てこそが「生」そのものなんです。
生と死が繰り返されている。
なんて説明もあったりするわけですが、全体の視点からみると、生しかありません。
だから、あなたが生きているんじゃないんですねー。
生きるが生きているんです。
そして、その中の、ほんの点としてあなたが存在するわけです。
その点の中の一部であるあなたが生きるをどうにかしようとしても無理ゲーなわけです。
もう生きるは生きるにおまかせしておけば良いんですよねん。
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