Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は可愛らしいパートナー

f:id:takuteto:20210514202223j:plain

【はじめに】

どうもおはようございます。
タクさんです。

ひゃー。
なぜか、ピクロスにハマりまくって、
思いっきりブログの更新を飛ばしてしまいました。

ピクロスっていうのは、マス目を数字のヒントをみながら埋めていくパズルなんですけどね。
やり出したら止まらない中毒性がありまして、
ホント、昨日なんか一日中やってましたもん。

なぜに今更ピクロス??って自分でも思いますもん。

まー、少しずつ絵柄が出来上がって行って、
あーこういう絵になってるのね。
って予想しつつやるのがもうたまらんのですよね。

ま、僕らの探求というのもこれと似てるなーって思います。

ネコが猫じゃらしをついつい追いかけてしまうっていう習性があるじゃないですか。
あれと似たようなもんで、僕らはついつい色々と思考を巡らして探求するっていう習性があると思うんですね。

ネコが猫じゃらしを追いかけるのは狩りに生かせるというメリットがあるのと同じく、
僕らの思考探求は思考で作られた幻想世界を人間同士で共有できるというメリットがあるんですねー。

そのおかげで、国とか会社とかお金とか時間とか。
そういったものを共有できるわけです。

でもって、ついついそれらのものが、実際にあるものだ!と錯覚しちゃうわけですねー。
これは、おままごとをしていたら、つい夢中になって真実だと混同してしまうというのに似ていますね。

 

【思考は思考だと正しく観る】

まーそんなわけで、探求の機能としてはメリットもあるわけなんです。
そして、何かに目覚めたとしてもそのメリットは消えて無くなるということはありません。
探求の終わりっていうのは、こういった機能がなくなるということではないんです。

よく、瞑想なんかでもこういった思考が出てきたなら、それに乗っからないようにしようとしたり、思考に同化していない状態を保とうとしたりするようなパターンがあったりしますが、
それは、思考を思考と知るためにやってる。
という側面があるんですよね。

僕らが的を外しているというのは、思考で作られた世界観を真実としてしまっていることですのでねー。
そこに気づくためのことをやってる。
ということなのかもしれません。

【探求は手放そうとするほどくっついてくる】

ただ、これって気づいたところで「だからなに?」みたいなこともあるんですよね。
気づいたとしても、まだまだ思考の同化が続くんですけど。
みたいな感じでね。

でもって、余計に探求を手放す修行っ!みたいなものに没頭しちゃったりもするんですけど、これって、手放そうとすること自体が逆効果になってしまっている。
みたいなねー。
そんな感じになってしまうんです。

また、僕らって躍起になればなるほど、いろいろと勉強しちゃうじゃないですか。
おままごとのルール上のことならね。
勉強すればするほど、そのルールに精通し、上手になっていくんですけど、
これって、上手になればなるほど、ルールに依存してるってことにもなってくるんでねー。

なにやら、これが正しい悟りだ!
みたいなね。
変な観念を生み出しかねないんですよねー。

【思考は可愛らしいパートナー】

ま、そうなればなるほどに、思考は手放すべき邪魔なものだ!
ここを乗り越えなければならないっ!
みたいなね。
そんな観念にどんどん取り込まれちゃったりしてねー。

気づいたら、いつしか複雑な観念に巻き込まれてしまっていて、
余計にしんどい!
みたいなことにもなっちゃったりするんですよね。

思考は敵ではなく可愛らしいパートナーです。
こいつを敵視すればするほどに、その刃は自分に突き刺さってくるんですよね。
だから、余計にしんどくなるんです。

ま、そもそも思考や観念に自分を脅かすような力が実際にあるわけではなく、
そう演出してしまうクセが、自分で自分を傷つけるといったようなことをやってしまっているんです。

思考が可愛らしいパートナーだと悟る時、心に巻き付いたカセがするするーって解かれていくんです。

だから、手放すんじゃなくて可愛がってやること。
これがコツでもあるんです。


※セッションではそんなコツをわかりやすく説明しております。
マンツーマンなので、言い出しにくい質問も歓迎です。
よかったらご検討くださいまし。

takuteto.hatenablog.com

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!