Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦しみのほとんどは演出で出来ている

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【はじめに】

ほい。
おはようございます。
タクさんです。

ま、人生楽あれば苦あり〜。
ということでね。

苦楽はセットになっておりますのでね〜。

どっちも起こってくるんですよね。

そして、それはみーんな一緒なんです。

あの人の苦は私の苦よりも楽そうだ。
あの人の楽は、私の楽よりももっと楽そうだ。

ってね。
傍から見ればそうみえるかもしれませんが、
ま、その人なりの苦も楽もあるもんなんですよね。

だから、人と比べても意味がありません。
そして、どんな人にも苦楽はあるんです。

でね。
みんなあるんだ!
ということをね。

どこか頭の片隅にでも置いておいてもらいたいんですよね〜。

なぜなら、苦を感じているときって、
まるで、自分ひとりだけが世界から取り残された!
みたいなね。
そんな錯覚をしがちだからです。

あたしはこんなに苦しいのに、私以外の人はのほほんと日常を過ごしている。
みたいなね。
そんな風に見えちゃうんですよね。

そして、この孤独感が余計にツラく感じたりするんです。

 

【孤独という錯覚】

僕もね〜。
一人で仕事をしていた頃に、リーマンショックが起きて急激に不景気になりだした時、
真っ先に切られだしましたからね〜。

取引先のみなさんも、社員を守るのに必死で、あまり仕事を回してくれなくなり始めたんです。
「ま〜また、景気が戻れば一緒にやろうや〜!」
ってな感じで気楽に言われたのを今でもよく覚えております。

おい!その一言が、ワシの破産を意味するのをわかっておるのか??
って思ったりしましたもんね〜。

社会は気楽に殺しにかかってくる。って感じたものです。

そんなときって、ものすごく孤独感を感じたりして、ツラかったりするんですよね。

でも、こんな経験なんて、
きっとフリーランスや会社の経営をされている方なら、
あるあるだと思うんですよ。

資金繰りがやばい!なんて話、何処にでも転がっていますからね〜。
だから、それもまた平凡なあるあるだったりするんです。

【生老病死】

お釈迦さんは、人生の代表的な苦しみとして、
生病老死をあげられました。

老いの寂しさや、病気の苦しみもまた、
誰にでも起こる苦しみなんですよね。

そしてね。
遅かれ早かれ死ぬっていうね。

これは例外なくみんなに訪れるものでして、
遅かれ早かれ死ぬんだったら、苦しみに比較なんてありゃしないんですねー。

だからね。
どんな苦しみもあなただけじゃないんです。
もちろんレアケースにみえるかもしれませんよ。

でも苦しみとしては、みんないろんなケースを通して感じてるものなんです。

そしてね。
みんなそうなんだ!ということをちゃんと知っていることが、
あなたの苦しみを和らげてくれるんです。

【苦しみのほとんどは演出で出来ている】

苦しみってね。それを苦しみととらえることで成り立っている演出なんですよね。
そして、その演出の最たるものは孤独感だったりするんです。

こいつが、痛みや苦しみに拍車をかけてくるんですよね〜。

でも、みんなそんなことを味わっておりますのでね。
そんな時は声を上げて誰かに寄り添ってもらえば良いんです。
そして、またあなたも、誰かに寄り添ってあげてね。

これはね。あらゆる苦の演出が大したものじゃないと言ってるわけじゃありません。
ただ、これらの演出の一つ一つを抱きしめてあげることでね。
この演出は成仏されていくんです。

演出の最たるものである孤独にハマるとなかなかそれも難しかったりするのでね。
そんな時は頭の片隅にある「みんなもそうやで!」ということをちょっと思い出してほしいんですよね。

みんな一緒なんです。
そして、みんな、遅かれ早かれ死ぬんです。

ちなみに、死が恐ろしいものというのもまた錯覚です。

寝入りばなが一番幸せだったりするじゃないですか。
そして、その先には誕生があるわけですからねー。

ま、生も死も概念の中にしかありゃしないんですけどね。
苦楽と同様に、生死もまたセットで働く一つの概念なんです。

サウナでいうところの、サウナと水風呂といった感じでしょうかねー。

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