【はじめに】
はいよっ!
おはようございます。
タクさんです。
思考をちゃんとみてるんですけど、
一向に思考は改善しないんですぅ〜。
的なね。
そんな質問も結構よく頂きます。
ですが、そもそも思考自体に善悪もなければ、良い思考や悪い思考ってないんですよね。
思考の病気を治そうとしてみても、そもそも悪くないので良くもならんわけです。
思考を観るっていうのはね。
別に思考を良い方向に持っていこうということではないんです。
思考は思考でただ起こっています。
ホントは起こってすらいないわけですけどね。
その思考と自分を混同してしまっているので、なんとか自分をより良くしなきゃならないっていうね。
ある種の生存本能が誤作動を起こしているようなものなんですよね。
観るというのは、ただ起こっている思考から心理的な距離を取ること。
と言ったほうが近いのかも知れません。
そもそも距離もないんですけどね。
【感情や思考を観る】
さてさて、
僕らは感情を観ようとしたり、思考を観ようとするとき、
ついつい、それを分析しようとしちゃうんですよね。
でも観るというのは、分析することでもなければ、納得することでもないんです。
あ、思考が起こってる。
以上。
これでおしまいなんです。
簡単すぎて、「え?そんなこと?でもそれじゃ何の効き目もなくない??」
って思っちゃったりもするんですが、
この効き目が必要ってのもまた思考なので、
あ、思考が起こってる。
以上。
でおしまいなんです。
【思考の終わりを願う】
でも、そんなことしたとしても、いつまでたってもきりが無いじゃん。
次から次へと思考は湧き出てくるんだし。
ってねー。
感じるかも知れません。
でも、こいつもまた思考なので、
あ、思考が起こってる。
以上。
なんですよね。
あとは、すいすいーって、何にもない静寂にただゆったりとしていたら良いだけです。
でもそういうときに訪れるのは、もどかしく、なんとも言えない感覚だったりするんですよね。
ま、こいつが感情なわけです。
だいたい、気になる思考の奥には感情が潜んでいるんですよね。
【感情は過去の痛みの再現】
思考の奥にある感情。その感情は思考によって増幅されたりするんですが、その感情の奥には、実際の感覚が潜んでいます。
そしてそれは、過去に感じた心の感覚を再現してたりするんです。
この感覚が実際に再現されることで、僕らはその感覚を心の痛みとして感じ取り、
そして、この痛みに思考のイメージを重ね合わせて大きくしていったりするんです。
でも、あらゆる思考や解釈を丁寧に取り除いていくと、その元にあるのはちょっとした感覚なんです。
中には、この感覚を感じ取ってはいけないものとして、心の奥深くに封印していたりもしてたりするんですけどね。
その封印もまた思考のイメージでなされていたりするわけです。
これもね。
思考のイメージを洗い流してあげて、ダイレクトな感覚だけにしてあげるんです。
そして、ただ、感じてあげる。
それだけでいいんです。
ただ、感じる。
以上。
これで終わりなんですね。
【感覚を光に還してあげる】
え?感じたけど、まだこの感覚が消えないんですけど、、、。
ってなるかも知れませんが、
消さなきゃいけない!というのは、思考ですので、
あ、思考が起こった。
以上。
なんです。
消す必要はありません。それはそこにあって良い感覚なんです。
あってはならないとされていた感覚を表舞台にあげてあげるんです。
思考での増幅を取り去った元々の感覚は、それほど大きなものではありません。
その感覚を大いに表に出してあげるんです。
すると、その感覚に光があてられるというわけです。
闇は、表に出ることによって光になります。
どんな闇も光に当てられると光になるっちゅうわけです。
その光をあててあげる。これが観るなんです。
分析をすることじゃありません。光に還してあげる。
そんな感じで観てあげると良いと思いますよん♪
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