Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【苦は自分で作ってるの?】苦が作られる仕組み

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【はじめに】

ほい。
おはようございます。
首を絶賛寝違え中のタクさんです。

たまにね〜。
こういう寝違え期みたいなのが来るんですよね〜。
やっぱり普段座りっぱなしで作業をしてるから肩こりが原因なんでしょうかね〜。

みなさんの肩こりライフはいかがでしょうか??

さてさて。
考えたくないことこそ、
ついつい考えてしまう。

そんなことないでしょうか?
心当たりがある方も多いと思います。

嫌なことを何度もリフレインしてしまったり、嫌な人のことをあれこれと考えてしまうと言ったような人間関係の話も多いかも知れません。

考えたくないことに限って考えちゃうんですよね。
なぜなら、どうでもいいと思ってないからだったりもするわけです。

僕らの苦というものは、そういった思考から来ているものがほとんどです。
これらの苦は今起こっているものです。

ちなみに、この苦は自分で作っている。
ってね。
そんな風に言われるじゃないですか。

いやいや、ワシは考えたくない!って思っておるんじゃ!
なのに、なぜ自分で作ってしまうのか?

みたいなことについて今日は書いてみたいと思います。

 

【苦は自分で作ってるの??】

苦は自分で作っている。
この自分っていうのは、思考の中の自分です。
そもそも、思考は止まったら死ぬみたいなところがございましてね。
つねにあれこれと話し続けなきゃ無くなっちゃうんですよね。
だから、嫌な思考も、あれこれと話し続けられるストーリー仕立てになってるわけですが、
まー、このストーリーというのが、結構できの悪いストーリーでしてね。
壊れたレコードのように延々と同じことの繰り返しだったりするんですよね。

そして、そのストーリーの中心に自分というものがいるわけです。

だから、苦は自分が主体的に作っているというよりは、
起こってくる思考のストーリーの中心に自分がいる。
ということなんですね。
この中心にある自分をもとにストーリーが展開されているというわけです。

【「私」を中心に繰り広げられるストーリー】

そしてね。
そんな自分ですが、思考で作られているわけですからね。
そこにはある種の設定があるんです。

苦の思考がくるくると繰り返されているときにも、
その中心には設定済みの自分がいるわけです。

そしてその自分が、

例えば、
「私は悪くないのに…」
であったり、
「私は正しいのに…」
だったり、
「私はちゃんとしているのに…」
だったり、
「私こそ優れているのに…」
だったり、はたまた、
「私はこうであるべきなのに…」
だったりしてね。
ストーリーが展開していくわけです。

この後に続くのは、いわゆる不平不満のような物語ですよね。

「私は正しいのに、あの人はあんな態度を取ってくる」
「どうすればあの人を変えられるのか?」
「そもそも、あのときも、こうだったし、、、」

みたいな感じでね。
私を中心としてストーリーは展開していくわけです。

ま、実際はもっと複雑でしょうし、記憶のイメージを再体験したりするのでもっとリアリティが加わるわけです。

【認めたくない「今」】

そんな苦のストーリーには、認めたくない「今」が存在するわけですね。
そして、なぜ認めたくないのか?というと、その中心に添えられている自分の設定が損なわれるからだったりするわけです。

だから、自分が損なわれるような「今」は認められないんです。
そして、その「今」に抵抗しているわけなんです。

変な話、抵抗すべき今を認めているから、抵抗しているっていうね。
そういうジレンマもあったりするんですよね。

認めたくない今に抵抗するのは、その「今」を認めているから。
っていうね。
ちょっと変なねじれみたいなものがあったりするんですよね〜。

ま、認めたくない今も、認めている今も、そこに抵抗しようとするストーリーも、全部ウソなんですけどね。

このウソから始まる一連の苦の演出は、その認めたくない今を、別にあってもいいじゃん♪ってね。
一旦認めてあげることで、ウソのように消えていくんです。

理屈では絶対に認められない!!!!
ってね。
そう思いがちなんですが、ここはウソでもいいから認めてあげるんです。
とりあえず、理屈や正しさは置いておいて、今だけ認めてあげてみるんです。

すると、今に抵抗する理由がなくなりますのでね。
くるくると繰り返される苦の思考の演出も消えていくんです。

【自分にお伺いを立てる必要はない】

ただ、この今を認めようとするとき、
僕らは思考ちゃんの許しを得ようとするんですよね。
そんなことしちゃうと、思考ちゃんは許してくれないに決まってるんです。
だから、認めようとしても認められない。
っていうことになっちゃいがちなんです。

なぜ、わざわざ思考ちゃんの許しを得ようとするのか?といいますと、
思考ちゃんを自分だと思っているからだったりするんです。

すると、どうすれば自分の許しが得られるのか?
ってねー。
またクルクルと思考が渦巻いたりするわけです。

そもそもね。自分にお伺いを立てる必要はないんです。
こいつ抜きでまずは進めてしまえば良いんです。

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