Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

未来は過去と同義

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はじめに

はいどうも。
おはようございます。
タクさんです。

僕らの周りには、ネット上だけじゃなくあらゆるところで、
膨大な文書が生み出されていますよね。

論文だけでもものすごい数がありそうです。

そんな論文やネット上の文書をがんがん分析して、未来予測をするっていうね。
そんな技術があるんです。

これは、あらゆる文書の中の単語をピックアップして、他の単語とどのくらい深い関係か?
もしくは離れた関係か?みたいなのを計測するんですね。

そして、これをずーっとやり続けることで、今後の未来の方向性を読み取るってやつなんです。

面白いですよね。
未来とは、もう今ある文書である程度予測できちゃうということなんですね。

つまりね。
これは言い換えると、未来というのは過去を読み取ることである。
ということになっちゃいますね。

ということは、過去と未来というのは同義であるとも言えるのかもしれませんね。

 

未来は過去と同義

これは、僕らの思考も一緒でして、僕らが思い浮かべることが出来る未来っていうのも、
過去の記憶を元にして生み出されるものなんですよね。

つまり、僕らが描ける未来ってのも、記憶の中にあるものでしか無いって言うわけですね。

なので、未来を見ているようで実は過去を見ているっていうね。
そういう事になっていたりするんですよね。

ま、それも当然っちゃ当然で、僕らは共同の幻想を作っているわけでして、
この幻想も過去を参考に作られているわけですからね。

今後作られるであろう幻想もまた、過去の繰り返しかもしくはアレンジしたものになってしまうわけです。

記憶というのは相対的

この辺の範囲を広げるとちょっと収集がつかなくなるので、話を個人に戻しますが、
個人の場合も、個人が考える未来は過去を参考にしたものになります。

また、この過去というのは記憶になるわけですが、
この記憶ってのもちょっと一癖も二癖もありましてねぇ。

たとえば、記憶っていうのは、絶対的なものじゃなく相対的なものだったりするんです。

どういうことかというと、時と場合によって、記憶のイメージはガラッと変わっちゃうということなんです。

だから、記憶を読み取っても、実は過去そのものじゃないんです。
現時点で作られた過去にすぎないんですね。

ストーリーはまさに夢のような幻想である

僕らが過去を必要とするのもまた、ストーリーを組み立てる材料として必要とするんです。
そして、その過去とは記憶なんですが、この記憶というものは、ストーリーの組み立て方に沿った記憶が選択されるわけでして、その記憶自体もまた、その時のコンディションによってイメージもガラッと変わってしまうというわけです。

つまりね。
あらゆる記憶は今に沿った形で作り変えられてしまう。
ということですねー。

なので、作られるストーリーは今に沿ったものになるわけでして、
未来もまたそのように作られるんです。

そして、そうやって作られたストーリーに沿った判断を繰り返していきますからね。
ま、特別のことが起こらない限りは、大体はその過去に沿った形でストーリーは形成されますので、だいたい思った通りの未来がやってくるような気がしちゃったりもするわけですね。

そして、もちろんのことながらこのストーリーは全部夢のようなものなんです。
有るようにみえて、無い。
無いようで、有る。

そもそも、有るも無いもないなかで、ストーリーの中で有ると無いを作り出している。

っていうね。
そんなややこしいことを幻想の中でやってるわけです。

誰でもない、なんでも無いものがね。

 

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