Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人は共同幻想を共有して社会を作る

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おはようございます。
タクさんです。

鳥は羽を広げて、空を飛びます。
魚は、泳ぎに特化した体で、水の中をスイスイと泳ぎます。
そして、僕ら人間は、幻想を共有して社会を作るんです。

僕らが持っているあらゆる知識は、まさに幻想です。

そして、僕らの現実というのも、幻想を土台に作り上げられた世界なんですよねー。

僕らが個別の人間であるという概念も、
時間という概念も、
年月という概念も、
男と女という概念も、
ぜーんぶ、幻想なんですよねー。

僕らはこれらあらゆる幻想を共有することによって社会を作り上げることができるという特技を持っているんですよねん。

 

動物の中にも社会やコミュニティーを作る動物がいますが、
僕ら人間は、言語を駆使することによって、
より高度なコミュニティーを作ることができます。

言語とは、あらゆるものを分割し、レッテルを貼ることができるツールです。

このツールを駆使することによって、あらゆるものを分離分解し、レッテルを貼ることができるわけです。

分離分解は際限なく行うことができるんですよね。
だって、架空の境界線を引けば良いだけですからねん。

体も、腕と足と胴体と言語によって分ければ、分けられた気になってしまいます。
実際には分かれてはいないにも関わらずねー。
腕は手と腕に分けられ、手は、掌と指に分けられ、、、。
と際限なく分離分解という幻想ゲームは続けることができるんです。

そして僕らは、次第にこの幻想のレッテル世界を現実だとみなすようになります。

でも、この幻想世界は、実際にはない分離を大前提にしていますので、真実を見失っているんですよね。

だから、人類は未だに、分離の最小単位と、宇宙の果てとその向こう側を解明できずにいるわけです。

これは、ないものを探しているからとも言えますね。

あらゆる思考のストーリーも分離の前提で成り立っています。

そして、僕らの悩みや苦しみ、不安や深刻さ。
これらは全部、そのストーリーの中に存在しているんです。

いや、
もっと厳密にいうと、存在していることにしているだけ。
と言えるかもしれません。

でね。
僕らは、外じゃなく、
自分の内で起こっているこれらの分離化の様子を注意深く観察することによって、観ることができるんです。

よーく観てみると、これら分離されたものに私という観念をつけてることにも気付けるとおもうんです。

さっきまで私としていた体を見ることができますし、
みていたはずの私さえ見ることができることを発見できますもんね。

すると、
どんなものも見ることができるのなら、どこにも私はないじゃん!
ってことにも気づけると思うんですよね。

でも、私という感覚だけはあるよねぇ?
ということにも気づけます。

この感覚をねー。私とした時点で、心のストーリーが始まるわけですが、
実はこの感覚こそが全てである「それ」なんですよね。
意識といっても良いかもしれません。

私をくっつけることで限定され、限定されることによってストーリーが展開されるというわけです。
そして、それだけが在るんだと知るんです。

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