Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

目覚めとは思い出すこと

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【はじめに】

ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ひゃー。
寒くなってきましたねぇ。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?

ところで。
いわゆる目覚めってね。
何かを得るということじゃなーい。
って言われてますよね。

そう。
これって、外に求めるものじゃないんですよね。
もうすでにここにあるものなんです。

つまり、
目覚めとは何かというと、思い出す。
ということなんですよね。

ただ、僕らって、思い出すって言われちゃうと、
なんだか、過去の記憶を漁ったりしちゃいますよねぇ。

何を思い出せば良いんだ?
心当たりがまったくないんだが、、、。

ってね。

でも、心当たりが無いのは当たり前なんです。
今日はこのあたりのことをテーマに書いてみたいと思います。

 

【僕らが語れるものは幻想だけ】

心当たりがあるから語れるわけなんですけどね。
そうやって語れるものっていうのは、全部幻想なんですよね。
つまりは夢のようなものなんです。
ストーリーなんですよね。

僕らがつい思い出そうとするのはそんな夢を思い出そうとしているんです。
でも、「それ」は夢の中にあるものでもなく、ストーリーの中にあるものでもないんですよね。
だから、心当たりが無いのは当然なんです。

【思い出されのは幻想以前】

目覚めで思い出すもの。
それは、幻想以前のものなんですよね。
そして、それこそ全てなんです。

全て全てってゆ〜てますけどね。

それはどういうことか?というと分離がないということなんですよね。
分離を取っ払うと、ここにのこるのは全てなんです。

僕らは何かを掴み取ろうとするとき、
分離をして余分なものは排除し、分離を繰り返して最後に残った欠片をつかもうとするじゃないですか。

だから、ウソを排除し、ウソが排除され尽くした後に真実が残る。
っていうね。
そんな幻想を見ているわけです。

だから、真実をつかもうとするとき、細かく分離をしてウソを取り払おうとするわけですが、目覚めとは、そのプロセスとは逆なんですよね。

【幻想とは個人的なもの】

ここで言っている夢だとか幻想だとかストーリーというのは、
個人的なものなんです。

個人的なものとは分離の夢なんですよね。

この個人的という感覚を超えたもの。
超えるというよりは、それ以前のもの。

まさに個人という夢以前のこと。

コレを思い出すということなんです。

思い出そうとするのはどうしても個人的なものになっちゃいますよね。
それだと、依然夢の中なんです。

個人という夢以前のことを思い出す。
だから、目覚めなんです。

 

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