Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我ちゃんを手放したいのは誰?

f:id:takuteto:20210713200651j:plain

【はじめに】

ほい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らが、いわゆる思考に振り回されちゃったりする理由のもとを探っていくと、
だいたいは、

持っておこうとすること。
持っていないと思っていること。

そして、持ってると思いこんでいること。

この辺に行き着くんじゃないかな〜?
って思います。

この
持っておこうとしたり、持っていないと嘆いたり、
さらには、持っていると思いこんでいること。

これこそ、自我ちゃんの働きそのものだったりするんですよね。

僕らは持っているものでなんとか自分を守ろうと思っていたりするんです。
なので、自分に備わっているものが弱々しく感じると不安になるし、
頼もしい場合は安心できるというわけです。

ですが、持っているということ自体が幻想のようなものであり、
幻想であるからには、ずっと持っておくことって出来ないんですよね。

そうなると今度は、幻想でもいいからこの幻想を持続させたい!
なーんて願ったりもするわけですが、
これもまた、幻想であるからこそ、持続しないというジレンマがあったりするわけです。

 

【持っておきたいという思いとは】

例えば、
今はうまく行っているとしても、この状態を持っておこうとすると途端に不安になったりします。
今は健康だけど、この先の健康はどう保証されるのか?
今は若いけど、この先、年を取るのが怖い。
せっかく手に入れた地位を失うのが怖い。

みたいな感じですね。

そして、どうすればこの状態を保てるのか?
ってなことを探求するんです。

また、持っていないものを嘆くというのも一緒です。
自分は何かが足りないという錯覚もまた、
持っていないという思い込みから生まれることですからね〜。

そしてこれらは、自分は何かを持っているという錯覚があるからこそ起こるものだったりもするんですよね。
そして、自分が持っているものが劣っていると感じる場合に、足りなさという幻想を感じたりするわけです。

【自我ちゃんを手放したいのは誰?】

この持っておきたいという働きはまさに自我ちゃんの働きそのものなんですけどね。
そうなると今度は、この自我ちゃんを手放したい!ってなりがちです。

この自我ちゃんの働きがなければ心をかき乱されずにすむはずだ!
って思っちゃいますもんね〜。

でも
自我ちゃんを手放そうとすればするほど、やたらと自我ちゃんが強固になったりするんですよね。
なぜなら、自我ちゃんを手放したい!と願っているのもまた自我ちゃんそのものだからなんです。
だから、手放そうとするほどに自我ちゃんは強固になっちゃうっていうね。
クソややこしい事になったりするんですね〜。

悟りに印可といういわゆるライセンスがあったりするのも、変な話です。
これもまた、自我ちゃんがなせるものですので、印可をもらって喜んじゃったりしてる場合は自我ちゃんどっぷり状態ということですから、悟りのライセンスが悟っていない証明になってしまっていたりもするわけです。

ま、悟ってる悟っていないと、分けてる時点で違うんですけどね。
これもまた、自我ちゃんの分離の働きです。

【手に入れるという錯覚】

悟りに印可があったり、
悟るための段階があったりという錯覚は、
すべて、何かを手に入れたい。持っておきたいという錯覚から来ております。

そもそも僕らは何も持ってませんし手に入れたこともありません。
そんな中、そういう幻想ゲームをしておるだけだというわけです。

持っていないから、手放す必要すらないわけです。