Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を許さないのは自分。

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【はじめに】

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

今日はツイッターの方に頂いた質問について書いてみたいと思います。

あ、ツイッターの方でも、日々いろんな質問に答えたりしておりますので、よかったらフォローよろしくっす!

taku@天然カウンセラー (@TakuTakuteto) | Twitter

さて、
頂いた質問はこちらです。

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ねー。

僕らって、頭の中のおしゃべりって、結構自分ごとって感じになってしまっていて、
ストーリーをストーリーだと感じにくくなっちゃったりするんですよね〜。

でね。
オススメなのが、書いてみるってことです。

何を書こうかなぁ?って考えるのではなく、
頭の中にわいてきたワードをそのまま書く!っていうのがおすすめです。

何を書こうかなぁ?って出てきたなら、
何を書こうかなぁ?って書く。

あ、今、ワシってば、ちょっとかっこいいこと書こうとしてる!って思ったなら、
それを書く。

って感じです。

これのコツは、
ノート見開き1ページとかってね。
先に書く面積を決めちゃうんです。

そして、この範囲を埋めたら終了!
って感じです。

 

【書くことで見えてくる自分のストーリー】

まー、そうやって書いてますとね〜。
書かれたものを見るじゃないですか。

その時、初めて、ちょっと離れたところから、自分の頭の中のストーリーを見ることができるんですよね。

僕らは普段、考えることは自分でやっているって思い込んでいたりするんですが、こうやって書かれているものをみてみると、
「え!自分ってこんなこと考えてたん!」
ってな発見もあったりして、自分で考えてるつもりで、全然そんなこと無いじゃ~んってなことも知れたりするんですよね。

【僕らを苦しめる元】

そして、僕らは、そんな頭の中のストーリーに苦しめられたりもしているわけです。

この苦しみの大元にあるもの。
それが、「自分への否定」「許されない自分」
だったりするんです。

そして、そんな許せない自分をなんとかかんとか隠したり誤魔化したりってなことで、
何重もみえないようにいろんな考え方で覆い隠したりしているんです。

そんな自分への否定。
これって、元々は持ってなかったものなんですが、いつの日か、
誰かに言われたことなのか?誰かに教わったことなのか?
何かを見てそう思うようになったのか?
妙な比較の概念を掴み取ってしまったのか?

そのへんの理由って、けっこう忘れ去られていたりするんですけど、
「こういう自分はだめ!」っていう妙な判断材料はギュッと握りしめてたりするんですよね。

そして、この、元々は存在しないダメな理由でもって、僕らは、自分の中にある何かしらの要素に対して、許せない判定をしていたりするわけです。

【隠された自分】

でね。
そうやって許せないと糾弾された自分は傷つくんです。
だから、何かしらのきっかけがあれば、そんな自分は顔を出そうとしたりするんですよね。
これは、許されるチャンスを伺っているのかもしれません。
でもまた、ガツンと叩かれるわけです!

「そんなのは自分じゃないぞ!許せん!」

ってな感じですね。

それはまるで、頑固親父に、
「お前は、今日限りうちの子供ではない、出ていけ!」
って言われる以上のショックかも知れません。

だって、自分を許してくれないのは、自分なんですもん。
ある意味家族よりもちかしい存在。
っていうか、自分そのものに否定されるんですから、そりゃー、一番ツライわけです。

自分で自分を許せずに、許せないことと許されないことで苦しむ。
これが、僕らの心のなかで起こる葛藤なんですよね。

でもね。
この葛藤で苦しんでいる時って、世界中から許されていない!みたいな錯覚を感じたりするわけなんですが、ホントは許してないのは自分だけだったりするんですよね。
そして、許されたがっている、表に出たがってるから、そんな自分が顔を出してるんです。

そんな様子をただ見てあげるだけで、自然、そうか、それで良いんだな。
って、アホらしい自分が愛おしく見えてきたりするんです。

ただ見てあげるためのコツの一つ。
それが、書いてみることなんですねー。

 

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