Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【中道中庸とは】ベストを尽くしたいならテキトーであれ!

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【はじめに】

はい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
今日もテキトーにやっておられますでしょうか?

まーねー。
日々過ごしておりますと、たまに、
「しっかりしなければっ!」
「ちゃんと頑張らなきゃっ!」

ってね。
そんな気負いを持ったりすることもありますよね。

ま、しっかりするとか、頑張るってのはね。
悪いこととは言いません。

好きなら良いんじゃない?って思います。

ただ、正しいことなのか?というと、
「んな〜ことはない。」
って思いますけどね〜。

じゃあ、間違ってるのか?
というと、
それも、
「んな〜ことはない。」
んですけどね。

 

【中道中庸】

ただ、僕らって、
ちょっと気を抜くと、これは正しいのか?間違っているのか?
みたいな思いに悩まされちゃったりするじゃないですか。

そして、何が正しいのか?がわからなくなることもあるでしょう。

でも、それは、ある意味当然でしてね。

そもそも、正しい・間違いという判断が幻想のようなものでしてね。
そんなものありゃしないんだから、わからないのは当然なんです。

だからねー。
もうテキトーでいいんです。

テキトーにやってりゃ良いんです。

お釈迦さんもゆーてるじゃないですか。

「弦は強く張り過ぎたら切れてしまうし、緩かったら音が出ない。」

ってねー。

つまりこれは、テキトーでええねんで!
ってことなんです。

テキトーこそがサイコー!ということなんです。
中道とか難しく表現されてたりしますが、言ってることは、
テキトー!サイコー!
ってことなんです。

ちなみに、似た言葉は儒教でも言われております。
儒教では、テキトー!のことを中庸と表現しております。

ただね。
めっちゃ頑張りたいねん!
っていう思いがあるのなら、もうそれが中道ですのでね。
張り切ってやったら良いんです。
張りすぎた弦の音もまたオツなものでございます。

つまり外から押し付けられた正しさにハマるんじゃなくて、
自分の感覚として良い感じ!ならそれは良い音色だということですね。
この辺は誤解なきよう・・・。

【ベストを尽くしたいならテキトーであれ!】

不安というものも、ある種の正しさの幻想にだまされているというパターンから起こっている場合がよくあります。

こういうときにね。

ちょっと貧乏性になってみるのもいいと思うんですよね。

どういうことか?といいますと、
不安を自分の心に意識し続けるのって、ものすご〜く自分のエネルギーを沢山使わなきゃいけないんです。

不安というのは、正しさの幻想に騙されている場合が多いので、

いわば、正しくあろうとすればするほどこのエネルギーをたくさん使わなきゃならなくなるってわけですね。

こういうときにちょっと発動してみたらいいのが、
「もったいない」精神です。

英語でいうと、「Mottainai」です。

なにがもったいないのかというと、エネルギーを消費するのがもったいないということですね。
このエネルギーは生命エネルギーです。
これは、面白おかしく楽しむために使ったほうが、楽しいわけですからね〜。

こいつを不安なんかにだだ漏れで使うのはもったいないんですよね。

だから、「あ、ちょっともったいないかも。」ってね。貧乏性になって、
テキトー!にもどしてやったら良いんです。

テキトー!こそがベストなんですもんね。

だから、ベストを尽くしたいならテキトーであれ!ということなんですよね。

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